少年漫画の主人公たちの盲点とは。

今世の中に数多ある少年漫画では、異能の力というものが当たり前に存在している。
主人公達は時を止めたり炎を操ったり、オラオラしたり無駄無駄したりしつつ巨大な悪と戦い、勝利を修める。
世の少年たちはその姿に憧れ跳躍し、ジャングルジムの上で変身ポーズを決めるところから始まり、様々な異能に憧れるのである。

しかし、ここにひとつの盲点がある。
漫画に登場する主人公たちは、ほとんどの場合自分の能力を自分で選んでいないのである。

例えばジョジョの奇妙な冒険の空条承太郎はスタープラチナというスタンドの能力で時を止めることができるのだが、これは宿敵DIOとの激闘の最中に発動した能力である。
それまでは、このスタープラチナというスタンドはただ素早く正確にパワフルに動くだけの、最新型のiPhoneのようなスタンドであったのだ。

この能力は承太郎が意図して手に入れたものではない。
奇跡的にDIOと同等の能力であったからよかったものの、一瞥しただけでヒヨコの牡牝を瞬時に見極めることができる能力が開花する可能性だってゼロではなかったのだ。

「馬鹿な!貴様どうしてその位置からあのヒヨコがメスだと分かる!」

と狼狽えるDIO様と出会えなかったことは残念ではあるが、まぁ早い話しが、彼らの持つ異能というのは、本人たちにはどうしようもないものなのである。
それはつまり、背が高いとか、足が長いとか、そういうことと本質的には同じなんである。

僕たちは自分の体を選べない。
整形手術などで多少形を変えることはできるかもしれないが、強い弱い、大きい小さい、細い太いといった項目は、基本的には揺りかごから墓場まで付き合ってゆくものだ。

承太郎は時間が止められるようになった時、少なくともDIOよりもその能力は低かった。
それでもDIOに勝利することができたのは、知恵と勇気を持って行動したからに他ならない。

少年たちは、異能の力そのものに憧れているのではない。
自分に与えられた力を受け入れ、それを100%使い尽くし、知恵と勇気の限りに戦うヒーローに憧れているのである。
承太郎もきっと、ヒヨコの牡牝を見極める能力が開花していたなら、それを駆使してDIOを追い詰めたに違いない。たぶん。

漫画の主人公でさえ、自分の能力を選べないのである。
彼らがカッコイイのは、自分の運命や才能を受け入れ、それを100%発揮するにはどうすればいいかを全力で行動に移しているからだ。

環境を憂い、人を憂い、自分を憂いていては、いつまでたっても主人公にはなれない。
環境を受け入れ、他人を受け入れ、自分の背丈を受け入れて初めて、人は自分の人生の主人公になるのである。

僕たちに環境を変える力はない。
昨日と同じ生き方をして、今日と違う明日に行くことはできないのである。
最近また出てきたお腹を見ながら思ったのは、概ねそんなことであった。

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帽子の方はヒヨコの性別に明るい。

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