何にも考えずに記事を書き出したら神様の話しになって自分でもちょっと引いたブログ。


どうも、いつもご愛読ありがとうございます。
優作です。

なんかいつも偉そうなことをせっせとブログで書いてるんですが、たまには普通のブログ記事も書こうってことで、ガス抜き的な記事です。

毎日何かしらの事件が起こってるんですが、この前不意に音楽仲間が夢だか何だか、朝方にポーンと出てきまして、それでヤツのブログとかSNSをぐるぐる見渡してきて、感じたことを何の前触れもなく吐き付けてきました。
これ、ウザいだろうなあ・・・と思いながらだったんですが、もうそうするって決めちゃったんだから仕方ないね。

そうしてみたらヤツはいいヤツで、翌日には「もうちょっとこの辺詳しく」的なメールが返ってきまして。
なんていうか、きっとイラっともしたと思うんだけど、それでも自分で何かを掴み取ろうっていう方向に意思を運べるのって、すごいなあって。

で、その時のメールに一言添えられてたんですけど、


「優作さんって考えてもの言う人だから」


みたいなね。
まあぶっちゃけ自尊心くすぐられまして、大変気持ちよくさせて頂いたんですが(アァーーーンッ!!!!)、でも、ちょっと待てよと。
僕が人と話しをしてて、「この人考えて話す人だなあ」って思ったら、あんまり良い気分じゃないかもしれないぞ、と。

たとえば高明なお坊さんなんかに相談ごとをしたら、この人は色んなケースの中から僕と似た思考のヤツをピックアップして、「こういうタイプはこう言ったらこう捉えるから・・・」みたいなことを考えてるんだろうな、なんてことを思っちゃう。
いや!反論してくれるな!そういうヤツなんだ僕は!

まあだから平たく言うと、「相手が考えてる人」って思って向き合う、もうちょっと言うと「頭いい人感」を感じさせられると、なんかもう向き合うこっちが平静じゃいられませんでしょう。
だから、この音楽仲間も「僕が相手をどう捉えてるかって話しなんですけど」って、それはもちろんそうなんだけど、やっぱり意識の誘導というか、「僕がそういう空気を出したから彼の中ではそういう解釈が生まれた」って、僕の世界で語ると、そういうことになるんですよ。

だから彼が僕をどう捉えていたか、っていうよりも、そういう「意識のガイド」を僕が発していて、それが僕の望むものとはちょっと違った、っていうのが、楽しくて悔しい発見でした。


普段から含みのある言い方や表現が嫌いだからそうしないようにしてるんだけど、何だろう、心とか愛とか神様とか、そういう言葉を使ってるとやっぱりそういう風に捉えられるものだし。
だけど、心とか愛とか神様っていう話しは好きだから、まあそれはしょうがない。

あ、そうそう、「神様」ね、僕は信じてます。
だけど、「神様」っていう「人物」がいるとは思ってません。

説明が難しいんだけど、「神様」っていうのは「全部」のことですね。
よく「愛」っていうのは、「心が開いてる状態のこと」だよって言うでしょ?
それといっしょで、たとえば僕が


「おっぱい!」


って叫んだら、隣にいる家口リョウ辺りが


「それは罪深き禁断の果実!」


とか言うでしょう?
本当キモい。

2013-07-21-19.27.24

キモい。

で、「神様」は何かって、僕が何か言った時に家口リョウが何かを返してくるっていう、そういう繋がりのことなんですよ。
「縁あって之起きる」というか、なんか分かりにくい話しなんだけど。

たとえば新宿に立ってるあほみたいにでっかいビルも、自分には何の縁も所縁もない気がするけど、そのビルがあるからビルの向こうの景色が見えないんだよね?
そういうことなんです。

あらゆるものはあらゆるものに影響を与えあってて、それはパンの製造工場でアンパンにゴマ粒乗せてる人だって、そうなんだよっていうことなのね。
だけどそこで縁と所縁を感じられないと、気持ちの中でどんどん孤独になっていっちゃうのね。
「神様」がいなくなっていっちゃう。

そうすると、パンに毒とか入れてみたくなったりするんですよ。
世間を騒がせたいとか、注目されたいのって、究極的には「人との繋がりを体感したい」っていう衝動なんですね。

それが良い方向で出せれば、たとえば家族に優しい言葉をかけてみるとか、公園で寝てるおじさん達におにぎりでも差し入れしてみたりね、そういうことをするんだけど。
だけど心が荒んでると、荒んだところには「神様」はいないからね。
だから「奪う」とか「傷つける」とか、そういうことでしか人との縁と所縁を感じられない。

これは、一通り色々努力して、それが結果に繋がらなかったミュージシャンにも多いんだよね。


「こんなにやってんのに、誰も理解してくれない」


とかいって、どんどんやさぐれてね。
当たり前なんだよね。
相手のことを受け入れてない人が、人に受け入れてもらうことって、できないもの。
本当は受け入れられてても、「受け入れられる訳ない」っていう前提で生きてるから、受け入れてもらってることを認められないんですなあ。

だからこれは僕の解釈で、誰から教わったものでもないんだけど、「神様」がいるっていうのは、「人との繋がりをしっかりと感じてる状態」のことなんです。
「神様が見てる」って言うでしょ?
それは、縁と所縁は、どこででも誰とでも繋がってるよ、っていう意味なのね。


いやはや、話しがズレてきました。
ともあれ、僕はやっぱり気楽に話せる人が好きだし、話していて元気になる人が好きだし、自分を認めて受け入れてくれる人が好きだから、そういう人を目指します。

「何考えてるんだか分からない人」には、なりたくないよなあ。
これからはそういうことも考えながら、記事を書いたり動画とったりしよう。


ということで今日は徒然なるがままに、書き綴ってみました。
また、次回。