激突!ジャミラとイギリス紳士。雨の中の攻防。


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先日出先に傘を持って行くのを忘れて、雨に降られるということがあった。
それ自体はどうということはない。
問題は、その出先で彼女様と合流する予定であったということだ。

僕は雨に濡れることが苦ではない。
おそらく前世がイギリス紳士だったのであろう。
PCなどを持っていると多少困るが、基本的にはずぶ濡れになろうが何だろうが気にしない。
それ故に、出かける時に雨が降っていなければ、傘を持ち歩くことがほとんどないんである。

それに対し、彼女様は雨に濡れることが許せない。
雨に濡れることは圧倒的に愚かな行為であって、万死に値するとさえ考えている節がある。
僕が傘を持っていないと知るや否や、千の罵倒と万の殺意を向けてくるのである。
おそらく、前世がジャミラだったのだろう。

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ジャミラ



実はこの問答は、既に何年も前から繰り返されていることである。
自分の中にない価値観を持つということは、実に難しい。
ある者がその事柄について声を荒げたとしても、別の者は同じ事柄を全く違った目で見ていることがあるからだ。

例えば今回のケースだと、僕自身は雨に濡れることは全く苦ではなく、むしろ気持ちの良いことだと思っている。
しかし前世がジャミラの彼女様は、雨や水に濡れると死ぬ、くらいのことを思っているのだ。

方や雨に気持ち良さを、方や死を感じているという状況である。
その中で僕に傘を持つ文化を与えようというのなら、まずは雨に濡れる気持ち良さを理解した上で、僕が気付いていないデメリットを差し出し、それに対する対抗策を提案しなければならない。
ただ単に自分が気に食わないからお前が変われ、という話しでは、人は変わらないのである。
(僕はウルトラマンがジャミラを放水で悶絶死させるシーンを何度も見ているから、彼女様の気持ちをある程度理解している。)

人の価値観を変えるのは容易ではない。
僕自身は最近人から悩みを相談されることが多いのだけど、その際にまずすることは、お説教ではなく理解である。

相手が何を信じていて、何を求めているのか。
それを見抜き、理解に務めることが何よりも大切だ。
それが出来れば、もう後は何もしなくてもいいというほどに、重要な項目である。

人は、分かってくれる人の言葉ならば、自ずと信じられるのである。

この日僕は彼女様から、大阪に降り注ぐ雨粒よりも多いのではないかというほどの罵詈雑言を浴びた。

どうして傘を持たないのか。
どうしてそんな信じられないことができるのか。
どうしてお前は綾野剛ではないのか。

徐々に雨と傘の話題から離れていく彼女様の言葉を聞きながら、僕は懐かしきイギリスの街並みを想った(行ったことはない)。

僕「雨に濡れることは、気持ちいいんだよ?」

彼女様「それはお前の勝手やろ。」

僕「まあそうなんだけど」

彼女様「お前これからうちに来るのに、ずぶ濡れだったら一歩も入れへんぞ。すき焼き食わせへんぞ。」

僕「本当にすいませんでした。今後このようなことが一切無いように努力に努めます。」

人は、変わる時は案外あっさりと変われる。