世界を叩くハンマー。


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老朽化した金網を建て直すためには、基礎から壊して作り直さなければならない。
大きな公園の中央に設けられたグラウンドはおよそ二ヶ月間の間黄色いバリケードに囲われていて、その中からはキャタピラやショベルが軋み唸る音が、ずっとずっと聞こえていた。

ある日、そのグラウンドに沿った歩道を歩いていると、ちょうど金網を支える鉄柱の基礎を作っているところだった。
大きく掘り返された地面の底には木の枠で型が作られていて、その中にドロドロとコンクリートが流し込まれていた。

その、まさしくコンクリートが流し込まれているシューターの先端で、疲れ切ってくすんだ顔のおじさんが一人、作業着を汚しながら黙々と作業をしていた。
コンクリートは、ただ流し込むだけでは中に空気が入ってしまって、固まった時の強度が下がる。
その空気を抜くために、おじさんはせっせと木の枠をハンマーで叩いていたのだ。

穴の上から見下ろしている現場監督があれやこれやと指示をする。
実に淡々と、見ていてこちらが申し訳なくなるくらい、明らかに自分よりも年長者のおじさんを顎で使っている。
そもそも現場監督と作業員とはそういう関係であるのだが、僕が現場で働いていた終盤に出会ったM本監督は、実に作業員の立場に立ったものの考え方をしてくれる人だったから、はやりそこには大いなる違和感があって、しかしその違和感も、今この場で声高らかにその場のおじさん達にぶつけるというのは、明らかに余計なお世話であった。

作業員のおじさんは黙々と木の枠を叩く。
コンクリートが飛び散り、おじさんの頬をさらに汚す。
穴の上から監督が何かを言う度、おじさんは自分のペースを乱されて、手元が慌てる。
それを見た監督がまた語気を荒げて何かを言う。

僕はいたたまれなくなって、そそくさとその場を立ち去った。

昨日、出先から帰ってきた時のことだ。
件の公園の通りを自転車で颯爽と駆け抜けていると、あのグラウンドは新たな金網でもって見事に生まれ変わり、サッカーに野球にと勤しむ子供たちを包み込んでいた。

大きな穴があったところは見事に埋められていて、そこからは立派な鉄柱がそびえ立っている。
ジグザグに並べられたカラーコーンの向こうで、何人かの少年が帽子を脱いで大人の話しに耳を傾けている。
よくテレビなどでこういう光景を写して、

「ここから未来のスラッガーが」

などというナレーションを入れることがある。
テレビとして、夢を抱かせるのは大切なことだ。

しかし、それはやはり野暮なのではないかとも思う。
今ここで走り回り、自分たちを応援してくれる大人の情熱に触れている子供たちを見ていると、そんな立派なものにならなくても、今この瞬間に十分な価値があるのではないかと思うのだ。

そしてふと、僕は思い出したのだった。
あの木枠をせっせとハンマーで叩いていたおじさんが、この鉄柱の根元にいたことを。

おじさんはとても孤独に見えたが、おじさんの仕事はこうして今に繋がっている。
おじさんは実感していないかもしれないが、おじさんは確かに世界と繋がっている。

もしかしたら、作業員はあのおじさんでなくてもよかったのかもしれない。
だけど結論として、あのおじさんが叩いたコンクリートが、今大勢の人を包み支えている。

毎日は酷く平凡で退屈で、それでいて困難なものかもしれない。
だけれど、それでも僕たちは、こうやって自分の目には触れないところで、誰かと、世界と繋がっている。
それを教えてくれる人は少ないけれど、少なくともそれが「仕事」であれば、誰かがその仕事で得をしているから、その「仕事」が成り立っているのだ。

パンの中に毒を入れなくても、威嚇して相手を打ち負かさなくても、自分のアイデアが退けられたとしても、僕らは必ず世界と繋がっていて、何らかの影響を与えている。
そのことをぜひ、覚えておきたいと思った。