双竜の掌を持つ女と、うずくまるイケメンの苦労と努力。


Syura-no-Mon-063


僕はバランスを追い求める男だ。
左の頬を殴られたら右の頬を差し出せとイエス・キリストも言っているが、まさにそのような精神性を持った男である。
そして僕の彼女様は、目にも留まらぬスピードで左右の頬を同時に攻撃する技術を持った女である。

僕は講師業をしている関係もあって、よく人が何かに取り組む場面に立ち合う。
それはギターであったり音楽活動であったりするのだが、ほぼその全てに共通しているのは、上手くいっていない人、上手くいかない人というのは、バランスが悪いということだ。

例えば、「何でも先生の言うことを聞きます!」という生徒が居たとする(実際そんな夢のような生徒はいない)。
そんな一件素晴らしく見える生徒も、バランスが悪い。
何が悪いかというと、講師を疑う視点というものを持っていないのだ。

講師と生徒というのは、いわゆる仕事を請ける側と発注する側である。
本来であれば、生徒が「この講師の言うことは信用ならない」「もっと良い講師がいるかもしれない」「最近なんだか顔が気に食わない」などという理由を見出せば、この受注関係は無に帰すものである。
元来そこには、「ちょっとでも役に立たないこと教えてみろいつでも辞めてやんだかんな」という緊張感があって然るべきである。

ところが、時折講師の言うことを鵜呑みにし、その緊張感を一切醸し出さない人がいる。
これが、実は危険なんである。
その緊張感があるからこそ、講師は全力で教えるし、場合によっては全力で調べる。
当然、今までの知識やノウハウも一切出し惜しみをしない。

「先生の言うことは何でもかんでも一切合切信じます!」というのは、そういった意味で実にバランスが悪いんである。

先日とある後輩がギターのアレンジを教わりたいと言ってきたので、カリスマ講師として指導に当たっていたところ、途中からなぜか心の話しになってきた。
僕はギターをそっちのけで、若きミュージシャンに熱弁を振るった。
これ以上ギターで教えられることがなかったから、必死だった。

そのうち、後輩が目に涙を浮かべはじめた。
「どうしてこんな話しを聞かされなければならないのか」という不条理に対する涙かと思ったら、僕の話しに感銘を受けたのだという。
不条理に涙を呑む機会が多い僕にとって、新鮮な回答だった。
しばらくの間は彼の涙が信じられなかったくらいだ。

彼は、優しい男であったのだ。
それ故に、「戦う」という意思を持っていなかった。
だから、そこでバランスが崩れていたのだ。

これは本心でもありテクニックでもあるのだけど、人に1つ何かを気付かせてあげるためには、その他の苦労や努力を全て理解して心から労わなければならない。
彼は今まで人に黙っていたことを全て僕に見透かされたといって、大変驚いていた。
ようやく僕のことを理解してくれる人が現れたのかと、僕自身も別件の涙が溢れるかと思った。

「だから僕は、彼を激励して、感動の渦の中で、僕らは別れたんだよ。」

そう言うと彼女さまはただでさえ鋭い眼光をさらに険しく尖らせて、僕の心臓を握りつぶすかのような声でこう言った。

「で、その子は生徒になったんやろな。」

その質問に対し軽薄にもお金が欲しくて彼に心を説いたのではないと主張したところ、それを言い切る前に左右の頬に衝撃が走り、目の前に火花が散った。
顔を覆ってうずくまる僕の苦労と努力を理解して労ってくれる人は、まだ現れない。
世界は実にアンバランスだ。