良い音楽を奏でるためには、コンビニでレジを打てば良い。


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やることが山ほどあって、やりたいことも山ほどあって、だけどそれを実行する力が無い時というのが、人には必ずある。
一番分かりやすいのは、『お金が無い』状態だ。

僕を筆頭に、多くの人はお金持ちではない。
結婚をすると財布を妻に握られ男は小遣いで細々と生きることになるというが、僕などはまだ結婚もしていないのに、自動販売機でコーラを買うだけで彼女様から汚物を見るような目を向けられる。
これが平常運転なのだから、人の環境への順応力というのは実に驚異的である。

お金が無い状態を解決する方法は、ひとつしかない。
お金を稼ぐことである。
それしかない。
実にシンプルだ。

お金というのは仕事をすれば手に入る。
仕事とは、『仕える事』だ。
人様のお役に立つことである。
それも、明らかに圧倒的に役に立つことだ。

音楽などもそうなのだが、まず、全ては素人から始まる。
多少慣れてくると、まあ、聴いていて苦ではないレベルになる。
多くの場合、ここで明暗が分かれる。
選択肢は4つだ。

①自分が演奏したくて、人が聴きたいものを目指す
②自分は演奏したくないが、人が聴きたいものを目指す
③自分は演奏したいが、人は聴きたくないものを目指す
④自分が演奏したくなく、人が聴きたくないものを目指す


これが音活寺子屋のブログなら、

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まあこうやって見たら分かると思うんだけど、お金になるのは①と②だけでしょ。
で、実は③の人が一番少ないのね。
みんな、人が聴きたいものを目指すんだけど、人間理解を深めようとしないから人が求めてる軸にはまれない。
だけど自分がやってることは求めれらないって思っちゃってるから、自分の軸からも外れてくる。
一番悲しい④のパターンに、本当に大勢の人が陥ってるのよ。
もしかしたら、君もね。


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などと言うところだが、今回はもっと明確な答えがある。
つまり、仕事などというものは、実は空気のように当たり前に情熱的にそこかしこに転がっていて、それを選り好みして選んでいないということなんである。

コンビニのレジ打ちアルバイトでもいいのだ。
それを、徹底的に極める。
そうすると、上司や他の店のスタッフの目にとまる。
そこまでやってようやく、給料アップや昇級、あるいは別業界への引き抜きなど、次の人生のステップが待っている。

人生を一生懸命生きていると、必ず次のステップがやってくるのだ。
神は手掛かりを一手ずつしか与えない。
その手掛かりは、常に自分がいっぱいに手を伸ばさなければ届かない位置に現れる。

ところが、そうやって一生懸命やることを無駄だと思う者がいる。
かつての僕がそうだ。

音楽をするために上京したのだから、アルバイトなどしている場合ではない。
しかし現実問題としてアルバイトをしなければ生きていけない。
音楽をお金に換える方法を、事務所に所属して売り出してもらうこと以外に知らない。
しかし、どうにもやる気がでなくてオーディションもまともに受けていない。
そうやってどんどん自分の弱い部分、闇の感情にフォーカスを合わせていったことによって、世界は闇に飲まれ、僕は心を痛めた。

今だからこそ思うが、一生懸命アルバイトをすればよかったのだ。
一生懸命にコンビニのレジを打ち、一生懸命に新築マンションの床を磨き、一所懸命に誘導棒を持ってトラックの後ろで「オーラーイッ」と叫べばよかったのだ。

どうしてそうしなかったのか。
劇的で外的な突然の進化を、頑張らないまま享受したいと思っていたのだ。
つまり、甘っちょろいことを思っていたんである。
自分よりも年下の才能がどんどん開花してゆく中で、僕は自分の腕と心と魂を磨くこともせず、ただ周りの人がチャンスとお金と輝かしい未来を持ってきてくれることを、文句を垂れながら待っていたのだ。

今なら断言できる。
凡人が良い音楽を奏でるためには、一生懸命にレジを打てばよい。
ピカピカになるまで床を磨き、事故が起こらないように赤い棒を振り回せばよいのだ。

人は、ひとつの人生を生きている。
音楽は偉大だ。
芸術は偉大だ。
僕の仕事がら、教育も偉大であると断言する。

しかし、音楽も芸術も教育も、人間という生き物の一部である。
人として生まれて人として感じる感覚の一部である。
レジ打ちもクリーニングも警備誘導も、音楽を奏でることと何ら変わり無い。

冒頭の話しに戻る。
貧乏な人は、お金を稼ぐことに一生懸命になればいい。
仕事がないのなら、仕事を見つけることが仕事だ。
仕事を見つけたら、早くその仕事を覚えることが仕事だ。
仕事を覚えたら、その仕事で世間に給料以上の価値を返すのが仕事である。

お金がないのは、仕事をしていないからだ。
そして今やりたいことを仕事にできていない人は、他の場所に何か学ぶべきことがあるのだ。

僕は5月からミュージシャン業務を再開するが、それは昨年の活動休止以前に無かったものを学んだからだ。
人は、目の前のことを一生懸命にこなしていれば、必ず向上する。
そういう風にできている。

今僕はとある知り合いのマーケティング業務の資料作りを仕事として請けているが、パワーポイントをグリグリと弄りながら、この道のプロである社長の気遣いや仕事の流れを学び、ひとつの大きなテーマに向かってどのようなデータが何を意味するのかを学んでいる。
その結果歌詞のまとめ方や、自分の商売を押し出していくためのプロセスに新しい情報が流れ込み、脳の中でスパークする。

ギターなど置いて、働けばいい。
金を稼げば、良い音楽が鳴るようになる。
音楽は本来、イメージの世界で鳴り響いているものなのだ。
イメージすることを止めなければ、音楽は絶対に劣化しない。
劣化するのはいつでも、自分が手を抜こうとする自分自身なのだ。

働くことで停滞するものなど、何もない。
10年掛かるのなら、10年掛ければよい。
そのことに今気付けば、10年後にはなんとかなるのだ。
1年引き伸ばせば、11年掛かることになる。

この劇的な気付きを得た僕は得意満面、彼女様に働くことの尊さを説くことにした。
毎朝仕事に行くのが面倒だとブーブー垂れているあの女にも、その仕事がいかに自分自身を輝かせることに繋がるか、気付かせてやる必要がある。
しいては、仕事を通して人に優しくすることを学び、僕に対する罵詈雑言および本ブログには記載しきれない暴力の数々が、少しでも和らげばよい。

一通りの話しが終わると、彼女様は珍しくキラキラした目でこちらを見た。
初めて外国人と話した時に付け焼き刃の英語が通じた時のような感動を覚えた僕は、ようやく言葉が届いた感動に打ち震え、神に感謝した。


彼女様「今稼いでんの?そしたらほら、欲しいコートがあんねんけど!可愛い彼女が!コートを欲してるんですけど!」

一点訂正する。
一生懸命にやっても、変わらないものもある。