無意識のポケットにポテトチップスみかん味。


写真 2015-06-04 7 29 10


先日彼女様がコイケヤのポテトチップスみかん味なるものを買ってきた。
「優作にも食べさせてあげたいと思って」などと言いつつ、既に封の空いた袋を差し出してくる。
死ぬほど不味いか、毒が盛られているか、二つに一つだ。

恐る恐る手を伸ばしてひとつ口に含めてみると、塩気とイモの微かな香りの手前で微妙な柑橘の香りが待ち構えていて、それが咀嚼を終えて飲み込んでもしばらくの間舌の付け根でランバダを踊り続ける。
顔をしかめて嗚咽を漏らしていると、彼女様は実に満足げに微笑んでこう言った。

「胸焼けがするであろう」

負けると分かっていても戦わねばならない時がある。
いかな危機的状況においても冷静さを失わず、泥水を飲む覚悟を決めておくのが、紳士の嗜みである。
泥水を飲まなければ、泥団子を食べさせられるのだ。

今年に入ってから新しいことを大量に始める機会に恵まれている。
仕事もプライベートも、去年の年末とは随分と変わってきたものだ。

変化するのだから、当然そこには戸惑いや不安が付きまとう。
我が家にモモンガがやってくることになった時などは逡巡する間も与えられなかったのだが、普通は多少迷う程度の時間はあるものだ。

そこで迷わず変化を受け入れることが真髄であると知った。
新しい仕事、新しい試み、新しい生活・・・これらは実に激しく僕たちの不安を煽ってくる。
しかし、あらゆる物事というのは何らかの理由で起こるものだ。
仮に目の前の出来事が全て自分の人生のために起こっているのだとしたら、それがどれほど困難でもポケットに入れて歩いていくのだ。

その時、今までポケットに入れていた宝物をひとつ、捨てなければならない。
それがどうにも、辛いんである。

それでも、辛くても、捨てる。
拾って捨ててを繰り返す。
僕たちのポケットには、「ひとつのもの」しか入らない。

使わなくなったものは捨てる。
要らなくなったものは捨てる。
古くなったものは捨てる。
常に「ひとつのもの」が最新であるように努める。

とは言っても、そもそも人は一度見聞きしたもの、魂に刻んだ物事というのは、決して失わない。
仕事でも、覚え始めの頃は色々なことを意識しながらでなければこなせないが、そのうち何も考えなくてもある程度の作業ができるようになる。
僕たちのポケットの奥には無意識のポケットがもうひとつあって、そこまで入っていった物事というのは、絶対に失くすことがないんである。

胸焼けにうなされていると、彼女様が「他にも桃味とか売ってたよ」と言う。
僕は丁重にお断りして、冷蔵庫の中のコーラゼロをぐぐーっと飲み込んだ。

無意識のポケットにまたひとつ、余計なものが落ちてくる音が聞こえた。