鉄の精神のささみカツ定食

僕は自制心にあふれた男だ。
自らの中から溢れてくる欲求を退け、全体を俯瞰した大きな視点で生きている。

先日も出先で入った定食屋で、痩せたいという欲求を退けてささみカツ定食を平らげた。
衣とソースと白米の織りなすハーモニーが実に心地よい。
カウンターの奥のおばちゃんも満足げである。
俯瞰した視点で生きるというのは、あらゆる物事を正しく導いてくれるのだ(腹が出てくるという事象を除く)。

やりたいことをする、というのは、勇気が要るものだ。
例えば僕たちのような歌うたいは、常に「誰かに笑われる」というリスクを背負っている。

打って出るというのはそういうことだ。
多くの人の前に打って出て何かをしようとすると、あるいは、多くの人の前に打って出なくても、「そうすることで人から笑われる/バカにされるのではないか」といった悪しき想像が、僕たちの心と体を締め上げるものだ。

ささみカツ定食を食べきると、腹が出る。
オフィスワーカーにとって定食屋のメニューは明らかに栄養過多だ。

しかし、食べたいから食べる。
「腹が出る」というリスクは「食べて幸せ」とセットであるから、受け入れる。

かっちょ悪いのは、「腹が出るから嫌だなぁ」と言いながらささみカツ定食を食べきることだ。
そんなことを言っていたら締められて揚げられたトリだって、素直に栄養になってやろうなどと思ってはくれまい。
どうせ食べるのなら、ドキドキしていてもいいから、「食べて幸せ」にもっとフォーカスすべきだ。

痩せたい欲求に打ち勝ち続けた結果、僕は鉄の意志を手に入れた。
よほどのことがない限り、もはや僕は痩せたい欲求に負けることはないだろう。
米のツヤ、カツの歯ごたえ、味噌汁の味わいに見事にフォーカスし、まさしく幸せを噛み締めて生きている。

ところが先日彼女様が僕の腹を見てこう言った。

「食べたい欲求に負けすぎとちゃうか。」

発送の転換とはまさにこのことだ。
目から鱗がボロボロと落ちていく。

そう言われてしまってはしかたあるまい。
今度から僕は食べたい欲求に打ち勝つ鉄の精神を持てば良い。

しかしなぜだろう、全く勝てる気がしないのは。