いつの時代にも「昔はよかった」と言う人がいる理由

先日久し振りに近所のイオンでケータイコーナーを覗いた。
スマートフォンの台頭により高級カマボコ板売り場と化したケータイコーナーはやはり見た目に退屈で、イオンの気だるい色柄も含めてどうにもヤル気が出てこない。

加えてイオンモバイルは値段の表示も実に分かりづらくて、ただでさえジッシツやらエムエヌピィといった愛のない言葉が飛び交うケータイの料金世界をより混迷させている。
昔auのお兄さんをしていた時にイオンには何回も行ったけれど、あんなところでケータイなんて高額なものを買う人の気がしれないってやっと言えたぜコンチキショウめィ。

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そんなことをブツブツ言いながら売り場をさまよっていると、なんだ、昔ながらの二つ折りケータイもまだ割といるではないか。
僕は嬉しくなって、見本のモックをパカッとやったりパタンとしたりして、しばし開閉のヨロコビを噛み締めた。

当ブログでも度々語ってきたことだけれど、僕はギミックのあるガジェットが好きなのだ。
本当はギミックなんて故障の原因にしかならないことも分かってるし、余計なギミックがあることで開発コストが上がることも知っている。

しかし嗚呼だがしかし、思い出そうではないか同級生諸君。
8和音くらいの着信音がぴーぴろりーと鳴り響き、サブディスプレイに好きな子からのメールの着信が表示されていた時のあの興奮を。

今ならタッチひとつでLINEのメッセージ画面に行けちゃうけども、当時はそこに「パカッ」というワンアクションがあったのです。
ご存知の通り、恋は焦らされると燃え上がるもの。
ああそうか、だから身を「焦がす」と言うのか。
まあそれはそれとして、時代が変わってあの子のハートが近付いた、なんてことはございませんでしょうが、少なくともあの子のメッセージは近付いてきたのであります。

もう何が言いたいのかもよく分からなくなってきたけど、結局ほら、一番感性が豊かで、感情が動いていた時期に触れていたものは、やはりいつまで経っても心の中に残るものなのだ。
荒れ狂う感情の波に弄ばれた初めての恋を忘れられないのと、基本的には同じことなんである。

「昔は良かった」なんて言ってると懐古厨とか言われてバカにされる時代だけれど、「昔は良かった」と思うように出来てるのが人というものだ。
万葉集だかなんだかにも「最近の若いヤツは言葉づかいがなってない」的なことが書かれていたということだし、やっぱりみんな自分が正しくて素晴らしいと思っているということなのだ。

だって、あの頃キラめいていたのだもの。
全てが輝いて見えていたのだもの。
初恋の相手をいつまで経っても忘れないことと、十代の頃に聴いていた音楽がその人の音楽性を確立するという説と、スポ根に生きた人がその後もスポ根的生き方を正しいと信じ続けることは、基本的には同じことなのだ。

それはそれで、よいではないか。
納得の出来ない生き方を押し付けてくる人は、適当にかわすか逃げ出すかしておけばよろしい。
その場の雰囲気で自分の考えを歌うこともございましょう。

ただ最後は、自分の人生を決められるのは自分だけで、他人の人生を決められるのは他人だけだ。
それが分かっていれば人の言葉に必要以上に振り回されたり、人の考えに手を突っ込もうとするような無粋なことも減るだろう。
それはきっと、幸せなことだ。

ただ、これだけは言っておきたい。
もうちょっとギミックが楽しいスマホがほしい。

gzone
G’zOne Brigade。
こういうのが大好物。