少年(32歳)のタスク管理事情

Dropboxの過去フォルダを漁っていたら、懐かしい写真が出てきた。
7~8年ほど前の写真だろうか。
あられもない姿で映っている少年は、地元和歌山県の友人の息子である。

どこまでも晴れ渡る夏空の下、一糸まとわぬ風体の少年。
地面にじっくりと目をやっているその全身から、自由の光が溢れているように感じられる。

僕が代々木公園で同じことをすると、Twitterのタイムラインと警察が動くだろう。
場合によっては、妻も僕に保険を掛けるなどして、後の犯行のために動き出すかもしれない。

子どもと大人では、自由という言葉を語るための前提条件が異なる。
その前提はたぶん、他人の中にはないのだ。
 
 
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最近タスクシューティングというタスク管理の手法に挑戦している。
暮らしの中で、朝起きてから夜眠るまで、何を、どれくらいの時間していたのかを1分単位で記録し、その記録を元に翌日のシミュレーションを作る、というものだ。

何それ窮屈そう、と思うかもしれない。
これが、仰る通り窮屈なんである。
何故か。
僕が完璧主義だからである。

タスクシューティングでは、記録をベースに一日のプランをシミュレーションすると申し上げた。
当然、そのシミュレーションに沿って一日を過ごすのだけど、僕の場合、夕方17時以降のスケジュールがどうしても守れない。
疲れ果てて、次の指示を見るのもイヤになるのだ。
それがどうにも許せない。
とはいえ、守れないものは守れない。
かといって許せないものも許せない。

そういうことを繰り返していると、シミュレーションが守れている朝方や日中にも、おそらく嫌な気分になるであろう夕方を、頭のどこかで気にしている。
特に作業が行き詰まっている時の感覚は、シミュレーションが守れない時の苛立ちとよく似ていて、連想的にもうイヤだわこんなシンドイコトやってられないわ現象が勃発するのである。

こういった事態を打開するためのアプローチを、僕は瞬時に348個ほど思い付いた。
うち347個はスワヒリ語で思考したことなので、残念ながら共有することが難しい。
わが知性を恨めしく思いつつ、ニッポンゴで思い付いたアイデアを述べておく。
それは、「17時以降はプランが守れない前提でプランを組む」というものだ。
 
 
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ハーバード大学には、意思力について教えるカリキュラムがあるという。
いつか読んだ書籍の情報によると、意思の力、即ち、いくつかの選択肢の中からモノゴトを選び、行動に移す力というのは、筋力と同じで使えば使うほど摩耗する。
大体の人が日中の仕事のうちにそれを使い果たし、夕方から夜にかけては、MPが切れたのに宿にも泊まれず、仕方なくあってもなくてもいいような杖による打撃攻撃と、所持アイテムから薬草をバラまくことしかできなくなった魔法使いのようなものだ。
よって、重要なタスクは意思の力がまだ残っている朝~昼までに配置し、午後から夕方にかけては極力意思の力を伴わないタスクを配置すると良い、、、と、その本には書いていた。

今回タスクシューティングにトライする中で、ただコレクションしていただけの知識に根拠が注がれた形になった訳だ。
知識は、実感を伴った根拠を伴って初めて自分の知恵して花開くものだ。
僕は早速、17時以降に配置していた重いタスクを午前中に移動し、午前中に配置していた単純作業や、多少疲れていても夢中になれるような好きな事のタスクを夕方以降に移した。
新しい編集方針をもってこさえたシミュレーションは、明後日からはじまる。
この実証実験がどうなるか、しっかり見極めたい。

ところで、午前にも午後にも入れられず、宙に浮いているタスクがひとつある。
タスクシューティングはその構造上、どうしてもデジタルのツールが必要だ。
しかし、タスクシューティング専用のデジタルツールは、まだこの世に3つしか存在しない。
多くのデジタルコンテンツが無料で手に入る現代において、それらのツールはつまり、結構なお値段がするのである。

僕は今回のタスクシューティングの導入にあたり、3600円のスマホアプリと、月額500円のクラウドサービスを購入した。
(うち、スマホアプリはあまりに使いづらかったので、5日ほど使って破棄した。)
それらの請求書が、まもなくわが家の家計を直撃する。
わが家のボスであり、裁判官であり、財務省であるところのわが妻に、今回の一連の金の流れを端的かつ意味ありげで(できることなら)怒られないように説明しなければならない。
そのタスクが、朝にも夕方にも丑三つ時にもハマらない。
どうにかうまく改ざんできんもんか。
タスクなどという概念を持っていなかった、少年時代が懐かしい。