わが愛しのAm P.6:錯乱の鬼保母(2018/07/25)

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幼児はヒマを潰すためなら何でもする

僕が少年というか幼児だった30年前は、まだまだ世間は閉鎖的だった。IT革命は起こっていないし、黒電話は現役だし、週間少年ジャンプでは聖帝サウザー様がケンシロウにアタタタされてお師様のミイラもろとも一緒に崩れるピラミッドに飲み込まれたり、まあそんな時代である。専門的なことは専門家に丸投げおまかせが基本で、現代のような見守りカメラでお父さんお母さんはいつでもわが子の様子を見ることができる、的なサービスは、ありようもなかったのである。

何でもかんでもオープンにすると働く人がのびのびやっていられない、というのはごもっともなのだけど、外部から完全に隔離されているとそれはそれで傍若無人がまかり通りやすくなる、ということもまたひとつの事実である。当時僕が通っていた保育所にも鬼のような保母さんがいたものだ。彼女は今そんなことをしたら大問題だよねー的ヒステリーを毎日のように起こしまくっていたのだが、特に印象深い怒られ方をしたのは、僕が友だちと滑り台であそんでいた時だった。

滑り台は人気の遊具で、いつでも長蛇の列ができる。僕はその列に加わって自分の順番が回ってくるのを待っていたのだけど、あまりにヒマだったので、足元に落ちている良さげな小石をピックアップしてポケットに入れるという哲学的な遊びをしていた。そのうち順番が回ってきて階段を上がるのだけど、先行している子が滑り終わってからでないと自分は滑ってはいけないというの滑り台ルールがあったから、もう少しだけ待機の時間があったのだった。しかも僕のひとつ前を先行していた子が今更滑り台の傾斜にビビって少しずつしか降りていかないものだから、僕はここに来てもまだヒマを持て余すことになった。

そのうち、スモックのポケットに小石が入っていることを思い出した。僕はとかくヒマであったから、「待つ」という行為以外の行動を取りたくてしょうがなかったから、ポケットから取り出した小石を2、3個ほど、滑り台の坂の上から、モジモジと砂場に向かってずりずりと牛歩ならぬ牛滑しているその子めがけて転がした。そのうちその子が砂場に到達したので、僕もようやく滑り降りて、その時はそれですっかり終わったのだった。

さえわたる錯乱論的説教

そのすぐ後だったと思う。例の鬼保母が僕のところにやってきて、鬼のような形相でこう言うのだ。
 
 
「滑り台から石を投げたのは誰ですか」
 
 
どうやら僕の後ろで滑り台の順番を待っていたどこかの正義の味方が、僕のしていた行為が許せなかったらしい。肝心なところに非常に大きな尾ひれをつけて、この理不尽の塊のような保母を僕にけしかけたのだった。
 
 
「はて、そのような野蛮な働きを行うものに、果たしてわが保育所の敷居を跨ぐことができましょうか。そのような低俗な精神を持つものが、あの滑り台を使うことが許されましょうか。僕は断じてそうは思わないのですが、先生はどういった意見をお持ちでしょうか。」
 
 
なんてウィットに富んだお返しができればよかったのだけど、残念ながら人から嫌われることに極端な恐怖心を持っていた僕である。反射的に、無意識的に、当然のように、嫌われないためのモード①「うつむく」と、嫌われないためのモード②「とりあえず謝る」を、即座に発動させてしまったのだった。

そうなると鬼の保母は止まらない。水を得た魚のように(みなと保育所だけに)、ここぞとばかりに、怒りの炎を燃え上がらせたのだった。何を言われたのかはもうサッパリ覚えていないけれど、随分長い間ぎゃんぎゃんと吠えられていたように思う。その中で一言だけ、「あれが大きな岩だったらどうするの!」という謎の指摘が妙にハッキリと思い出される。何というか、怒っているうちに錯乱したとしか思えない。幼児相手に毎日怒鳴って生きていたあの凶暴な保母さんも、心に大きな病巣を抱えていたのかもしれないなと、今思う。
 
 

30年後のサウザー様はこんなことになってます


 
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