わが愛しのAm P.52:買ってもらった物・モノ・もの(2018/09/21)

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四駆、ビー玉、腕時計

小さい頃、欲しいものは描いたり工作したりして「作るもの」だったけれど、いつからか欲しいものはお金を使って「買うもの」になっていた。まあ、いい大人たちが子どもには作れないものをビシッと作り上げて、しかもそれを魅力的にアピールしてくるものだから、もはや受け入れるしかないことなのかもしれないけれど。

そうやって僕は経済に組み込まれていくのだけれど、当然のことながら子ども時代には収入が無い。だから、どこかで売られている欲しいものを手に入れるには、「親の許可と出資」がどうしても必要だった。

僕はかなり色々なものを買ってもらった方だと思う。ゲーム機だけは中々許可が下りなかったとか、そもそも僕が自分が欲しいものをよく分かっていなかったとか、そういうことはちょいちょいあるけれど、明確に「これが欲しい」と言ったものは、割と買21い与えてもらった記憶がある。

時代によって欲しいものは移り変わっていく。小学校高学年の頃の僕がほしくてたまらなかったものといえば、「ミニ四駆」「ビーダマン」そして「サイバーウォッチ」であった。

ミニ四レーサー・父

おもちゃの世界にも世代がある。僕はミニ四駆においては「レッツ&ゴー」世代だ。僕より少し年上の人たちは「ダッシュ四駆郎」世代である。あ、はい、コロコロコミックで連載されていた、ミニ四駆マンガのことです。

初めて買ってもらったマシンは「バンガードソニック」と「ブラックセイバー」の二台だった。買ってくれたのは祖母ではなかったかしら。モーターと電池が別売りだったことを知らず、後日改めて買いに行ったのも良い思い出である。

そのうち、クラスメイトのだいすけ君のおじいちゃんの家にコースがあると聞いて、何度かレースに参加させてもらった。自作のマシンがコースを走る様子を見て感激し、さらに改造などにのめり込んでいった。ミニ四駆のプラスチックボディを肉抜きして軽量化するためのちょっと高価な「ピンパイス」という道具を駆使して、それはもう肉抜きしまくったものだった。

気がつくと、父が自分専用のミニ四駆ケースを買い、せこせこと自分のマシンを作っていた。元々車が好きな父は大人の財力にモノを言わせ、あっという間に子どもたちが半年以上掛けて集めた以上のパーツを買い揃えた。さらにはガスコンロで炙ったかったーないふでピンパイスを使うよりも遥かに繊細な肉抜きをして見せ、僕たち兄弟はハンケチを噛みながら、いつか大人になったらミニ四駆で父を超えて見せると誓ったものだった。

爆球連射

ミニ四駆とほぼ同時期にはまっていたのが、ビーダマンである。ミニ四駆と同じようにビーダマンにも世代があって、僕はスパビ(スーパービーダマン)世代だ。コロコロコミックで連載されていた漫画「爆球連射‼︎スーパービーダマン」で描かれていたビーダマンのことである。

余談だけれど、僕は今Twitterで同作品の作者であるところの今賀旬先生をフォローしている。自分が好きなコンテンツの作者と直接繋がれるなんて、当時は想像もしてなかったなあ。

さてさて、ビーダマンとは、腹に収めたビー玉をポンと前面に打ち出す人形である。スパビ以前のビーダマンはボンバーマンやミュータントタートルズのデザインで、ビー玉を一発ずつ打ち出すだけのシンプルなものだった。それがスパビに世代交代すると、連射やオートリロード、片手操作やカスタムパーツによる改造など、様々な拡張概念が導入された。元々改造好きだった僕は、ミニ四駆と同じ理由で、自分のビーダマンの改造にのめり込んだ。

ビーダマンが良かったのは、そのシンプルさ故に、床さえあればどこでも遊べるということだった。改造後直ぐにその性能をチェックできるのは、直進で走ることしかできないミニ四駆に比べて、実にお手軽で、かつ自由度の高いものだった。また、プレイヤースキルの上達や戦略という概念も取り込めたことから、自分たちの成長に合わせて遊び方がグレードアップ。我が家の廊下はかなり長い間ビー玉飛び交う殺伐とした戦場であった。

毎月500円貯金したら2年ちょっとで買える

これは欲しくて、でも諦めたものなのだけど、僕が小学校高学年の頃、デジタルタイプのおもちゃがにわかに流行った時期がある。たまごっちやデジモンの第一次ブームがそれだ。当時の盛り上がりようといったら、とんでもないものがあった。

それらのビッグネームの影で華々しくデビューし、誰にも見つからずに消えていったコンテンツがある。それがサイバーウォッチである。

子ども心をくすぐるゴテゴテなデザイン、小さな液晶画面では表現仕切れるはずもない機能を強引に盛り込んだ多機能性、赤外線を使った他のサイバーウォッチユーザーとの対戦機能。。。サイバーウォッチは、当時の僕の心を非常に強く掴んで、離さなかった。

問題だったのはその価格である。なんと1万2千円。ミニ四駆やビーダマンといった、1台500〜700円の世界で遊んでいた僕にとって、千位を超えた万の位の価格のおもちゃは、もはや自分のものになることを想像することもできなかった。よって親に「これが欲しい」などとねだったところで歯牙にもかけられるまいと判断して、この恋心は深く胸に秘めることにしたのだった。

それでも、欲しいものは欲しい。そこで僕は、当時もらっていたお小遣い(月500円)を貯金して買おうと考えた。幸いなことに、実家の近くには子どもがお金を使えるような場所がない。お金を使わないことは、それほど難しいことではないと思われた。

僕の計算によれば、1万2千円のサイバーウォッチを手に入れるには、月500円の小遣いを2年間貯めれば購入できるらしかった。僕の中で果てしない野望が燃え上がる音が聞こえたようだった。2年後の中学1年生の頃には、なんか、サイバーウォッチのこととか全部忘れてるんだけどね。

目に見えるものが好き

この記事を書きながら気づいたのだけど、僕は結局目に見える機構が好きみたいだ。大人になるにつれて、モーターやコンピューターのような複雑な機構を備えたものを欲しがるようになってきたけれど、今でもよく思い出すのは、新聞紙を丸めて作った剣やダンボールで作ったガンプラの秘密基地、頭から入れたビー玉を腹から打ち出すだけのビーダマンだったりする。実際、今回上げたおもちゃの中で、一番長く遊んでいたのはビーダマンだったしね。

今でも工場の生産ラインや、昔の人が作ったからくり工芸品などを見ると、心が熱くふるえるものだ。なんだ、やっぱり、全然変わってないじゃないか、僕。


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