わが愛しのAm P.72:音楽の専門学校に入りました(2018/11/02)

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新しき音楽の世界

音楽の専門学校への入学はとても刺激的だった。とても学校には見えないようなビルディングの校舎と、それまで見たこともないような重厚な防音扉。自由なファッションに身を包み、ギターやドラムスティックを抱えた人たち。あちこちから聞こえてくる音楽の欠片や、受付フロアで流れる卒業生のPV。まるで今まで知らなかった世界への扉が開けたような気分だった。

初めてのオリエンで、校長的な立場の人がこんなことを言った。

「デビューはさせてあげます。そこから先は君たち次第です」

僕は心踊らせながら、その後のプログラムで卒業する自分への手紙を書いた。何を書いたかもう覚えていないけれど、「デビューは決まったか」といったようなことを聞いたと思う。

そうそう、音楽の専門学校に来るくらいなのだから、みんな化け物みたいな連中なのだろうと思っていたのだけど、蓋を開けてみるとそいうわけでもなかった。僕がすごかった、ということではない。音楽を仕事にしたいという、いわゆる華々しい夢を抱く人の中でも、いろいろなやつがいたということだった。

腐れ縁はじまる

僕は学生寮に入った。実家は和歌山。学校は大阪。似たような距離感を通い続けている猛者もいたけれど、両親は実にあっさりと僕の寮入りを許してくれたのだった(入寮の初日に父が紙パックのいちごオレを寮の床にこぼしたことは一生忘れない)。

寮で過ごしていると、いやがおうにも知り合いができる。そこで出会ったのが、同じ11階に入っていた、僕と同じシンガーソングライターのコースを取っていたもりやまさんと、声優志望のなかにしさんだった。

なんというか、まあ彼らとは今も気楽な腐れ縁が続いているから、こんな無礼を平気で述べるのだけど。2人とも、本気でミュージシャンや声優を目指している雰囲気ではなかった。そのくせ、何か自分のパッションを燃やせるものはないかと試行錯誤をした結果、崖から飛び降りれば何かが得られるのではないかという希望を持ってここにいる、という顔をしていた。もちろんそれは、僕にも当てはまったのだけど。

かくして、生まれた故郷を飛び出し、新しい世界に飛び込み、ロクでもない友人もでき、僕の新生活は始まった。それは音楽の日々というよりは、人と出会いの日々だったのだけど、その件についてはまた今度。

僕が卒業した専門学校OSMのサイトトップ画像

僕が行った専門学校のサイトのトップ画像。「OSM」といいます。「大阪スクールオブミュージック専門学校」の略です。「大きな組織で丸儲け」ではありません。T.M.Revolutionの西川の兄貴は遠い先輩です。


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