自分が欲しい「気分」に繋がる「考え」を自分で選択する

気分をすごく大切にしています。気分がいい時は、自分にも人にも優しくできます。気分がよければ、たいていのことは笑って許せます。気分の良し悪しで、仕事や家事の楽しさやクオリティが変わります。

そうそう、気分のいい人と一緒にいると楽しくなりますよね。逆に気分の悪い人と一緒にいると、こちらの気分も崩れがち。気分良くいることは、それだけで身近な人への貢献になるのです。

僕は常々、「本物の努力って、やればやるほど楽になって楽しくなるものだよ」と主張しています。自分の気分を整えるとか、マネジメントするというのは、その手の行為です。

…はい、あなたのご指摘の通り、これは一部の人にとっては非常に難しい考えです。僕は斎藤一人さんの本で「自分の機嫌は自分でとる」という言葉と出会ってから、それを自分の考えや感覚として腹に落とすまで、10年くらいかかりました。

しかし、ようやく僕なりの理解が整ったのです。今回の記事では、それを言語化することに挑戦します。さぁ、どうぞ読み進めてください。


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レストランの料理が美味しくても不味くてもいい気分でいる

例えば、レストランで出てきた料理が美味しいことと自分の気分が上がることが直結している。不味かったら気分が下がることと直結している。これって、自分の気分の主導権を、料理の味という外的な要因に明け渡しちゃってるということです。

自分の気分をマネジメントする人は、料理の味が美味しくても不味くても、何らかの方法でいい気分を維持しようとします。その方法は色々で、どうすることが正解って、ありません。

僕なら、美味しい料理ならもっと深く味わおうとしたり、一緒にいる人と嬉しい気持ちをシェアします。不味い時は「まっずwww」と笑ったり、それ以上食べずに残して店を出たりします。そうすることが、僕がいい気分で居続けるために必要だからです。

「出来事」「感情」「考え」「気分」は、全部別のもの

きっとあなたは気付かれたでしょう。そうです、出来事と気分はセットになっている、という認識がある時は、自分の気分をマネジメントすることは難しいものです。

さっきの例だと、「美味しい料理といい気分」、「不味い料理とよくない気分」がセットになっていますね。それは言い換えると、料理の美味しさに自分の気分の主導権を渡してしまっているということです。

だけど本当にそこで起こっている出来事は、もっと繊細です。「出来事+気分」という塊は存在しません。僕たちの中では、


「出来事」を体験すると、

それに基づいた「感情」が生まれ、

「感情」を強化したり癒したりするための「考え」を持ち、

「考え」の残り香として「気分」を抱くのです。


そういうプロセスが例外なく発生しています。しかし長い間出来事と気分はセットだという世界で生きていると、このプロセスに熟練しちゃって、まるで出来事と気分がひとつの塊であるかのように見えるくらい素早く処理されるようになります。

その状態から自分の気分をマネジメントできるようになるためには、ひとつ新しい概念を知ることが助けになります。それは、「感情」と「考え」の間にはスペースがあるということです。

「出来事」と「感情」はコントロールできない。「考え」を選択すれば「気分」も選べる

当たり前だけど、自分の身に降りかかる「出来事」をコントロールすることはできません。そして「感情」は思考を経由しない身体の反射的な反応だったりするので、これをコントロールしたり、押さえつけたりすることも不自然です。

ところが、「感情」と「考え」の間には、実はスペースがあるのです。そしてそのスペースの中で、僕たちはどんな「考え」を持つかを選択することができます

「気分」って、「出来事」→「感情」→「考え」のプロセスの後に残る残滓。余韻のようなものです。そして順番を見て分かる通り、「気分」に大きな影響を及ぼすのは「考え」なのです。

どんな「気分」でいたいのかを先に決めて、「考え」を選ぶ

僕らはこれまでの人生で、実に色々な「気分」を感じてきています。よくない気分が目立って思い出されることもあるかもしれませんが、いい気分も必ず感じているものです。

その中からひとつ、「あの気分は最高だった」というものを選んでみます。そして、何か「出来事」と出会って「感情」が生まれた時に、どんな「考え」を使えばその「気分」に繋がるのか、考えておくのです。

ここで注意がひとつ。「出来事」や「感情」に対して、自分が望む「気分」に繋がる「考え」を持つには、結構練習が要ります。だって、今まで「悲しい気分」がデフォルトだった人は、つまり「悲しい気分に繋がる考え」をオートマチックに選んでいたのですから。

車の運転もそうだけど、オートマチックをマニュアルに戻すには、反復練習が必要です。マニュアルで車を走らせる感覚をすっかり忘れてしまっていたら、僕みたいに何年もかかる場合だってあります。

だけれど、もしいい「気分」でいる時間を増やそうとするのなら、この修行に取り組むしかないと思うのです。そうしない限り、自分がいい「気分」になる「出来事」だけが起こって欲しいと駄々をこねているだけになるのですから。

さぁ、「感情」と「考え」の間にあるスペースに立ちましょう。そして自由の翼を意思の力で羽ばたかせ、僕は僕を、あなたはあなたを、いい「気分」という青空に連れ出すのです。僕たちには、それができます。だって、僕とあなたは、自立した一人の人間なのですから。


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