肩肘を張る男と自由すぎる勉強会

ゆうさく
ゆうさく
好きな時に好きなようにブログの文体を変える自由をくらえ。

僕は謙虚な男だ。自分よりも周りの人間が活躍することを良しとする点など、様々な企業の社長を陰から支える一流ビジネスオーナーのようである。

にも関わらず僕は現在一流ビジネスオーナーではない。一流ビジネスオーナーの席を辞退ほどに謙虚か、謙虚以外に一流ビジネスオーナーになる条件(「ビジネスのオーナーにならなければならない」など)があるかのどちらかだろう。

僕の謙虚さは日夜発揮されている。先日開催したコミュニティの集まりの場でもそうだった。

このコミュニティは僕が以前半年間を過ごしたとある講座のOBたちで構成されている。活動内容は「その日集まったメンバーが各々に『今日取り組みたいものごと』を出し合い、他のメンバーが寄ってたかって手伝う」という実にシンプルなものだ。

僕はこのコミュニティを企画した際に、参加するメンバーが活躍したり、スポットライトが当たることを大切にしようと心に決めていた。なぜなら、僕自身がそういう場を求めていたからだ。

ところが、今回7月7日の七夕の日に開催した会では、その内容の関係で僕が数時間にわたってお喋りし続けることになった。僕は内心穏やかではなかった。

僕にとって「参加メンバーが活躍する」というのは、「参加メンバーがお喋りしているところを僕が見ている時間を長くする」ということだったからだ。

なのに午前中も午後もずっと僕がメインで喋っている。これはマズい。やってしまった。そんな気持ちが出てきて、その日の最後の時間に「これからはもっとみんなにもスポットライトが当たるような会を目指していきたい」などとのたまった。

ところが他のメンバーの感想を聞いてみると、

「特にやることなかったけど、それでもここでぽやーんとしてていいんだと思ったら気楽で、すごく楽しかった」

「すごく大切にされてるなーっていう気持ちになれた。頭の中が整理されたよ」

「お昼のラーメンがすごく美味しかったからまた来ようと思ったけど、さすがに夜は海鮮丼にしておきました」

などといった声が上がり、僕の心配は大いに大いに空振った。なによ海鮮丼て。

思うに、僕は少々コミュニティのあり方というものに固執し過ぎていたのではないか。メンバーに活躍してもらうのも大切だが、それ以上に、この会がメンバーにとって居心地のいいものであることが大切だ。

それにそもそも、そもそもである。この会は僕が主催の立場ではあるが、実際のところは以前から続く講座仲間が、講座が終わっても楽しく過ごそうぜ的に集まっている、そういうものだ。

僕がコミュニティのあり方をどうこう言う前から、僕たちには僕たちの距離感やルールがあったではないか。

とはいえ、僕は謙虚な男。だからといって僕が四六時中喋り倒していていいということにはならない。やはり改めて気を引き締め、次回に活かすべく決意をしたところで、facebookメッセンジャーのグループに投稿があった。


ちはる「今回は勉強会が楽しくて、夕飯の海鮮丼もおいしくて、帰りに新宿でステキな服を買って、世界よありがとうみたいな気分で帰途につきました!」


なんか、もう色々なりゆきでいい気がしてきた。


緩すぎた仲間たち。