「劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer」を観てきたからネタバレなしでプレゼンしてみる

ゆうさく
ゆうさく
蒸し暑い寝苦しさで4時半に目が覚めたからシャワーを浴びに風呂に行ったら浴室でチワワ’sの服が大量に漂白剤に漬け込まれてて全裸で絶望した僕ですおはようございます。

仮面ライダーが好きだ。特撮が好き、というのはまぁあるけれど、ウルトラマンやスーパー戦隊ほか様々ある特撮という分野において、仮面ライダーへの好意が突出している。

きょうび忙しく、残念ながら突出して好きな仮面ライダー以外の特撮に時間を割く余裕がない。結果的に仮面ライダー以外の特撮を見る機会は減り、知識に偏りが生じる。

愛は知識の量に比例する。これは1985年に生まれたある人物の言葉だ。僕です。

そんなわけで、元々の偏向に知識量が拍車をかけ、僕は今や「特撮好き」ではなく「仮面ライダー好き」のアラサー少年と相成ったのだ。

どうして仮面ライダーが好きなのか

仮面ライダーの何が好きなのかを考えるのだけど、よく分からない。スーパー戦隊と比べると「孤独」であるところが、とか、ウルトラマンと比べると「等身大である(物理)」とか、何かしらこじつけることはできる。しかし、仮面ライダーだけを見てここがいいとか、よくないとか、そういうことはよく分からない。

あ、今ひとつ見つけた。仮面ライダーは名乗りを上げない。いやしかしこれも、スーパー戦隊との比較である。そして僕はスーパー戦隊シリーズの名乗りが大好きだ。名乗りを聞いているだけで泣いてしまうこともある。だから「名乗らない」というのは、決して好きを後押しするファクターではないはずだ。

ならば造形についてはどうか。スーパー戦隊もウルトラマンも相当にツルッとしている。対して仮面ライダーは、最もシンプルであろうデザインのクウガやWをしても、相当にデコボコだ。エグゼイドなんか、目と髪の毛まであるからね。

これは幾分か説得力がある。僕は特撮だけでなく、ガンダムやアーマード・コア、ボーダーブレイクなど、アニメやゲームのロボからも産湯を頂いて育った。わが体には、彼らから受け継いだオイルやニュードが流れているのだ。だからこそ、特撮ヒーローの中でもロボに近いディテールを持つ仮面ライダーに惹かれるのは自然なことのように思われる。

さらにもうひとつ思い付いた。仮面ライダーはドラマが生々しい。登場人物全員に何かしらの「欲」が垣間見えるから、より人間らしさを感じられるような気がする。

「おのれディケイド!」と叫んでいるだけの存在が説明不可なストーカーおじさんもいるにはいるが、ディケイドは作品のドラマが難解すぎて全て理解するのに本当に10年を要したから、きっとストーカーおじさんのことも理解できる日がいつか来るのだろう。

なお、スーパー戦隊やウルトラマンにもドラマにフォーカスした作品があるのかもしれないが、先述の通りそっち方面は圧倒的に知識不足だから、何にも分からんのよ、わし。

ネタバレしないように「劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer」をプレゼンしてみる

このタイミングで映画の内容を書いてしまうのはネタバレになるから、詳細は伏せる。本当は書きたいけど、我慢する。誰か褒めてほしい。

そう決めると、途端に書くことがなくなってしまった。書きながら「あのシーンのあそこがこのようにグッときてんもうたまらんぜ」的に楽しもうと思っていたのに、本末転倒だ。

しょうがないので、まだこの映画を観ていない同志に向けて何かメッセージを書いてみる。

この映画は、過去の仮面ライダー映画でもよくあったお祭りものである。過去のお祭り映画と違うのは、終わった後にモヤっとした気分が残らないことだ。

いや、モヤッを残そうと思えば残せる。「え、そんなことできるの?」とか、「そんな理由で?」とといったツッコミを入れられるポイントは数知れない。それは過去のお祭り映画と何ら変わらない。

違ったのは、そういったドラマの綻びを軽やかに無視させてくれるほどのスペシャリティだ。ここまで惜しげもなく″平成仮面ライダー″に目配せしてくれたのは感動的だ。

本編とのドラマのつながりも素敵だった。ソウゴはもちろん、ゲイツやウォズのことを、これまでよりもずっと好きになった。どいつもこいつもいいヤツだ。

映像として最高にカッチョよろしいのが、作品終盤の流れるような最終フォームへの変身だ。がちゃがちゃとしたベルトの操作にフォーカスした演出は、今まで見たことのない変身体験だった。

ほか、ラストの仮面ライダーらしい見ているこっちが恥ずかしくなるようなダサい演出も、「本当に平成最後の仮面ライダーだしな」と思ったらすごく愛おしく思えたものだった。

既にカッチョいいゼロワンへの期待と、まだまだ終わらないジオウへの期待

9月1日から令和最初の仮面ライダー「ゼロワン」が始まる。去年の今頃も前作のビルドに対して同じことを思っていたけれど、一年間通して追いかけている番組が終わる時のクラス替えの時のような寂しさはいかんともしがたい。

しかし、希望もある。平成仮面ライダーでよくあった、「次のライダーのデザイン、好きになれるかな・・・」という不安が一切ないのだ。

右と左で色が違うとか、目玉があるとか、フルーツ鎧武者とか、本当に不安でした。それが、ゼロワンに関しては番組が始まっていない現段階で既にカッチョいいんだもの。

それに一年間の放送が終わったからといって全く姿を消すわけではないのが最近のライダーのうれしいところでもある。またソウゴやゲイツやウォズに会える。

勝手に全て終わったような雰囲気を出しちゃったけれど、そもそも記事を書いている今日の時点でまだ本編終わってないし。映画でごちゃっとさせたところがどう処理されるのかとか、アナザーライダーが出てきているのに力を失っていなかったレジェンドがいた理由はどうなのかとか。

回収してもらえるかどうか確証はないけれど、まだまだジオウの楽しみは尽きないんである。

とりあえず、平成ライダーから勇気をもらってきた同志たちと「よかったよねーーー!!!」的にどこかで盛り上がりたいので、「劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer」、ぜひ観てきてほしい。