あの懐かしき中華そばを求めて。

先日、子供の頃に食べた中華そばの味が忘れられないのだと言う母を煽って、その中華そば屋を探そうと言い出した。もう50年ほど昔の話なのでその店が残っているかどうかは正直疑わしいのだけれど、それでも放っておくと休日は一日中テレビの前に転がっている母を連れ出すには十分な理由である。

「箕島駅のすぐ近くにあるんちゃうかって聞いてん」

ということでその話を聞いた翌日、午前中に家の掃除をドタバタとやっつけた我々は、その時点で既に這々の体ではあったのだけど、愛車ジムニーたんのエンジンを回し、箕島駅をめがけて42号線を駆け抜けた。

僕「そのお店の情報ってどこで仕入れたの?」

母「閉経B48のメンバーが教えてくれてん」

込み上げてくる涙を堪えて僕は頷いた。母が楽しんでいるのなら、それでいいのだ。

僕「コンサートとかしないの?」

母「今のところないな。」

僕「メンバーの特技とかあるの?」

母「お母ちゃんは点滴打つん上手やし、友達は夜中に病院の中ウロウロしてる年寄り捕獲すんのが上手いで。」

僕「…一応確認なんだけど、48って数字はメンバーの人数じゃないよね。」

母「年齢ですね。」

看護師歴30年になろうかという母のケタケタという笑い声が充満した車内で減少の一途を辿る酸素に背筋を凍らせているうちに、愛車ジムニーたんは箕島駅に到着した。

箕島は、みのしま、と読む。その昔は箕島高校という学校が高校野球で有名であって、智弁和歌山に取って代わられた今も甲子園の解説席には「元箕島高校監督」という方がよく座っている。僕の感覚では、気性の荒い乱暴な土地柄学校柄という印象ではあるのだけれど。

そんな箕島駅近くのデパートにジムニーたんを停め、母と二人で歩き回った。が、しかし、話に聞いた場所近辺をウロウロとしてしみても、のれんを出しているお店は見当たらない。仕方なく近くにいたタクシー会社の駐車場でタバコを吸っていたおっちゃん二人に、この辺に中華そばの店が無いか聞いてみた。

おっちゃんA「中華そば屋らあったか?」

おっちゃんB「知らなぁ」

おっちゃんA「あ、お前あれよらよ。千歳のことやわ。」

おっちゃんB「おぉーな。ほいでもあそこ閉まっちゃぁららよ。」

おっちゃんA「そぉよぉ。」

ということで、母が人生のペーソス溢れるユニットのメンバーから聞いたお店は、残念ながら最近閉店したのだということだった。溜め息をこぼす僕に、おっちゃんBは優しい顔でこう告げた。

おっちゃんB「旨いラーメン屋やったらつけ麺の店あるわ。ちょっとそこのタクシー会社で場所聞いてきたらええわ。」

あんたら一体何なんだ。
喉元まで出かかったツッコミをんぐぐと飲み込んで、僕はタクシードライバーでなかったおっちゃんAとBに礼を言ってその場を離れた。

事の顛末を伝えると母はやはりとても残念な顔をしたのだが、2〜3歩ほど歩いたところで振り向きざまに

母「パスタ食べへんか」

と大きな声を出した。つけ麺どこいった。

母の言う「箕島を一望出来る山の上のイタリアンレストラン」に向かう道中、僕は母がその昔食べた屋台の中華そばがいかに美味しかったか、という話を聞いていた。

母の父、つまり僕から見た母方の祖父は、山で採れた山菜や野菜といった売り物の色々を配達する際に、よく箕島を流れる有田川という川の堤防を走った。

夜の8時に家を出る祖父の車に私も行くと言って、当時10前後だった母は、ふたつ年下の妹と助手席に乗り込んだのだそうだ。

いかんせん子供であるから、走り出した車の中で直ぐに眠り始める。そのまま自宅に帰ってきたところで起こされると、「まだ行ってない」と言って暴れたらしい。ちょっとしたテロリストである。

そんな配達の帰り際、箕島の堤防に中華そばの屋台がひとつ赤いちょうちんをぶら下げていて、麺物が好きだっ祖父はよく車を停めたのだ。

母と母の妹さんは助手席の正面にあるダッシュボードを手前に開いて、それをテーブル代わりにに小さなお椀に分け分けしたそばを啜ったのだという。

繰り返し同じ話を聞くうちに、僕たちはイタリアンレストランのランチプレートを食べ終わり、家に向かって国道42号線を流れていた。寂しい、ショックだとボヤく母に、無くなった千歳という中華そば屋が思い出の屋台の店であるとは限らないと、気持ちばかりの言葉を投げる。満腹も相まって気だるいムードの車内で、我々は適当な会話を続けることしかできなかった。

その日の夜。夕食を食べおわった父に、日中の母とのデートの話をした。中華そばの店が無くなっていたこと。パスタが美味しかったこと。レストランの近くにある風車が羽を止めて仕事をサボっていたこと、などなど。

すると父が焼酎を飲みながら

「箕島の川沿いに間口の狭い中華屋があるんやけど、行ったか?」

と言った。次の母の休日の予定が、どうやら埋まったらしかった。

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残念ながら閉まっていた元中華そば屋。

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本当に山のてっぺんにあったイタリアンレストラン。テーブルが6つあるだけの小さなお店。

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箕島のデパートで駐車場代代わりに買ってきた僕の買い出し用の母との共有財布。さっそくトマトソースが付いていて、くまもんの食いしん坊ぶりが垣間見える。