幸せを目指していたのに不幸になった人がやっと気付いたこと

ゆうさく
長かった関西帰省も今日が最終日。明日神奈川に帰って、引越しの準備やで。

QOLをもりもり上げよう!というのが、当WEBサイトのタイトルである『Qmori』の語源です。要は幸せになろうよ、ってことなんですが、わざわざ能動的に幸せを目指すということは、幸せはわざわざ意識的に目指さなければ到達できないものである、ということなのかもしれません。

つまり、何も考えずに衝動的に過ごしていれば、僕のQOLはゴリゴリ下がるということです。Qgoriです。

もしかしたら、この記事にたどり着いたあなたも、僕と似たようなタイプかもしれません。つありあなたも、幸せに生きるためには、幸せに大して能動的で主体的でいる必要がある人、ということです。

ところが、根本的に不幸思考が染み付いている僕たちは、能動的に幸せを目指しているつもりでも、スタートラインで何かを間違っていて、結果的に不幸まっしぐらな生き方をしている、ということが多分にあります。

僕も最近そういうことがありました。年単位で気づかずにいたけれど、ようやく自覚できた、「幸せになるための行動で不幸になっていた案件」です。お恥ずかしいですが、お納めください。

幸せを目指していた僕の不幸味溢れる日常

僕は現在、妻と息子(1歳9ヶ月)、2匹のチワワで暮らしています。僕の仕事はマーケティングレポートの制作だったり、コーチングセッションのご提供だったり、ギター教室の運営や講師だったりするので「これ!」という肩書きはありません。

が、基本的にパソコンとスマホと通信環境があれば仕事は成立するので、コロナに関係なく、随分と前からテレワークをしています。

僕の生活の中で存在感が大きい他者といえば、ダントツで妻です。妻はとても感情表現が豊かな人で、嬉しいことがあったり、嫌なことがあったりすると、大きく体を動かしたり、分かりやすく怒ったりして、自分の感じていることを表現します。

僕はといえば、感情表現が乏しい、ということはありませんが、妻ほど豊かに表現することはありません。基本的に自分の感情は、自分の中にあることを確認して、それをどう扱うか、考えてから行動に移すことが多いですし、そのように努めています。

妻がポジティブな感情を表現をしている時はいいのです。かわいいし、分かりやすくて助かるし。ところが、ネガティブな感情を表現し始めると、僕が怯えてしまいます。なんだか、すごく申し訳ない気持ちになってしまうのです。

さらに感情表現だけでなく、実作業としての得手不得手も関わってくると、自体はもう少しややこしくなってきます。たとえば、妻はもともと子どもが苦手な人なので、子育てをしているとしんどくなってしまう機会が多いのです。

そんな時は、ネガティブな感情+疲れ果てたメンタルという組み合わせになるので、さすがに具体的な描写は省きますが、それを見た僕はかなり心がザワザワします。例えば


「子どもが苦手な妻に子育ての負担を担ってもらわないといけないような経済状況でしかないのは、僕の努力が足りないせいだ。」


なんて考えが頭の中を回り始めるのです。するとすごく悲しい、辛い、残念な気持ちになります。不幸感が燃え上がるのです。この不幸感を回避するためなら、僕は自分の自由な時間も、食事の時間も、家庭という仕組みを維持するための仕事の時間さえも、全て投げ出したくなります。

味も分からないまま食べ物を流し込み、息子を連れて家を脱出します。それは妻に一人の時間を持ってもらうためだったり、僕自身が妻と物理的に距離を取りたくなるからだったり、です。

息子と一緒の時間を過ごすことは、僕にとっては楽しいことです。一緒に外を走り回る運動の効果も相まって、1〜2時間ほど散歩して帰ってくる頃には、僕も妻もそれなりに回復しています。

しかし、1〜2時間は間違いなく消費されているのです。仕事は進まないし、自分の時間など取るべくもありません。特に厳しいのが、未来のために積み上げるべき、今すぐお金にならない投資的仕事に着手できないことです。

迫りくる通常業務の締め切りや、家事のいろいろ。またいつ爆発するか分からない妻のことや、今日も手を付けられない投資的仕事など、様々なことを思ううちに、わずかな仕事の時間の生産性は、目も当てられないほどに下がってしまっています。

これが、ここ1年くらいの僕の生活でした。

「幸せを掴むため」ではなく「不幸を回避するため」に生活をデザインするのが、不幸の始まり

こういったエッセンスだけを抜き出して読み上げていくと、実に破滅的な生活スタイルを取っていたように感じられます。けれど、当時の僕は断固として、幸せになるために、この生活スタイルを選んでいる、と思っていたのでした。

たとえば、家庭内において女性がご機嫌で過ごしているということには、とても大きな意味があると言われています。確かに僕にとって、妻がご機嫌でいてくれることは、仕事をしたり、自分の時間を過ごすにあたって、非常に重要な要素です。

何より、先述の通り、僕は妻が不機嫌になったり、疲れ果てたりすると、自分の至らなさを頭の中でぐるぐる回して、逃げ出したくなるような不幸感を作り出してしまう。

その不幸感を回避したい衝動を無視しつつ、疲れ果てて機嫌が悪くなった妻を放置して、抽象的な思考を具体的な戦略や作業に落としたり、ゆったり自分の時間を過ごして精神的・体力的に回復をはかることは、僕にはできません。

だから僕は自分の不幸感のトリガーになる、「妻の不機嫌」を回避するために、実に積極的に生活スタイルの改築を行ってきました。

朝は4時半に起きて、1時間ほど仕事。その後6時ごろに息子を起こして、昼まで世話。午後は妻に息子をバトンタッチして、仕事部屋で作業。夕方は可能な限り残業せず、夕飯から息子を見て、9時には一緒に布団に入る。

最終的にたどり着いたのは、こんな生活スタイルでした。

これで、上手くやれていると思っていたのです。早起きは好きだし、実際に妻と息子が一緒にいる時間を減らすことで、妻が疲れ果てる回数も減らすことができましたし。それに、息子が僕にすごく懐いてくれた。これが嬉しかったんだなぁ。

あ、なんだか僕が家事や育児全般を引き受けてる、みたいな文脈になってるけれど、そんなことはないのです。僕が興味のないお料理や、苦手な事務的作業は、妻がせっせと処理してくれています。

息子が夜中にグズって起きた時は、僕は気付かないことが多いのですが、妻が起きて対応をしていくれています。

妻が疲れ果ててしまうことは、もちろん100%防げません。僕が仕事をしている午後の数時間は、妻に息子を見ていてもらうしかないのです。

苦手、というのは、それに関わっている時間に関係なく、当人の精神を締め上げます。多少の工夫や技術を使って頑張れば和らげることはできますが、頑張ればできるというのは、頑張らないとできない、ということでもあります。そして僕たちは、毎日しっかり頑張れるほど、安定した夫婦ではないのです。

午後の仕事の時間になって、1時間ほどで妻の叫ぶ声が聞こえて階段を駆け下りるようなことも、あります。それでも僕たちは、今の生活の中でできることをやっていると、それなりに胸を張っていたのです。

昔なつかしい鬱の香り

違和感を感じ始めたのは、今年の夏の頃でした。なんだか、日々の中で気分が落ちている時間が長いように感じたのです。

その気分の落ち込みを「なんとかしてあげたい」と、会社のボスがあれこれと気を使ってくれるのですが、それが全て鬱陶しく感じられるようになっていました。

この感じ、過去に経験があります。鬱です。

僕はミュージシャンを目指して下積みをしていた20代の頃に、一度鬱を経験しています。その時は辛さが実際に感じられる痛みになって、全く体が動かせなくなりました。

その時ほども性急ではないけれど、非常に近い感覚の中にいる。そう思った僕は、大慌てで生活スタイルの変更を検討しました。

10年前なら、自分一人が野垂れ死ねばそれで済んだものですが、今は妻も子も犬までいます。僕は、倒れるわけにいかなかった。

そこで考えたのが、今住んでいる神奈川県から、お互いの実家のある関西に戻ってくること。そして、お互いの家族の力を借りて、子育てをするということです。

さいわい、会社のボスもその決断を応援してくれました。後から聞いた話しですが、相当ヤバい感じに見えていたらしいです。僕が。

渋る妻を説得して関西に帰省し、家探しを始めたのが9月末。この記事を書いている10月28日現在もまだ関西にいますから、まるっと一ヶ月を関西の実家で過ごしていることになります。

この間、めちゃめちゃ楽でした。めっちゃめちゃ楽でした。もう一回言っとこう。めっっっっちゃめちゃ楽だったんでした。

心に余裕ができたら、日常が異常だったと普通に気付ける

神奈川で送っていた生活が異常だったことに気付いたのは、実は関西にやってきてからです。それまでは、自分の精神的な危機を感じてはいたけれど、それほど深刻だったとは思っていもいませんでした。

幸せになるために、今できることを一生懸命考えて、実践して、勉強して、暮らしていました。その結果、僕は倒れる一歩手前まで来ていました。もう二度と、もとの生活に戻りたいとは思いません。

どうして僕は、幸せを目指していたのに、不幸な方に流れていたのか。明確な答えはありませんが、ひとつ、ここがポイントだったのではないか、という仮説があります。

タイトルは忘れましたが、昔本を読んでいて、こんな言葉と出会いました。


「苦痛や不快感を回避するための行動が、あなたを幸せにしてくれることはない」


深い言葉です。そして、今回自分の身に起こった出来事に、ばっちり当てはまるように感じます。

僕は自分の中に巻き起こる不幸感と、それにより発生する不快感を回避しようとしました。その回避行動の指針は、不幸感発生のトリガーである「妻が不機嫌になること/力尽きること」を可能な限り防ぐこと、です。

そのためには、できるだけ多く息子の世話をする時間を引き受けなければなりません。しかし、妻が不機嫌になったり、力尽きるためには、息子との時間は数分あれば十分なのです。

結局僕がやっていたのは、絶対勝てないように設定されたゲームのキャラクターに、なんとか勝つ方法がないか模索し、挑み、負け続ける、というようなことでした。

僕がやるべきだったのは、その負けイベントで、きちんと負けることでした。つまり、今できないことを受け入れて、別の大きなプランを用意すること。すなわち、子育ての支援を受けるために、実家に戻る、です。

幸せに向けて、責務を果たすべき一ヶ月が始まる

関西で住む家も見つかって、明日には一度神奈川に戻ります。そこで引っ越しの準備を進めて、早ければ11月の末にはまた、関西に戻ります。

この一ヶ月が、本当に怖い。僕たちは生まれ変わったわけではないのです。考えを改めて、余裕ある生活の素晴らしさを実感し、お互いの生活と、未来と、今ここにある気がかりについて、語り合っただけなのです。同じ状況がやってくれば、僕たちは即座に同じ状態になるでしょう。

とはいえ、これまでのツケを精算し、新しい生活に飛び込むためには、必要な時間です。関東で直接会って何か仕事をしたい人と会うために、必要な時間でもあります。

それに今更だけど、「お金を稼ぐ」というのは、仕事をすることを選ばせてもらっている、僕が果たすべき最低限の責務です。大きな意味で僕が担っている家事であり、子育てであり、愛情表現そのものでもあります。

これから先の一ヶ月は自分の中に生まれる不快感と向き合いながら、責務の全うに挑む期間になります。これを乗り越えれば、もう何も怖くなくなるんじゃなかろうか。

そんなことを思いながら、新しい生活に向けて、着実に歩いていきます。それでは、今回はこの辺で。