真夜中のポン・デ・リング。

後悔というのは、自分が自分の本意に反したことによって発生するものである。

例えば、ダイエット中で甘いものを控えなければならない時に目の前にミスタードーナツのポン・デ・リングがあったりすると、それを食べるか食べないかという葛藤が発生する。この時、食べないという選択をすると、殆どの場合後悔は発生しない。しかし食欲に負けて食べてしまうと、間違いなく後悔することになる。

この時の後悔のポイントは、ポン・デ・リングを食べてしまったことそのものではなく、「甘いものを食べずに痩せる」という自分の本意に反したことである。自分の本意に反すると、人は「俺はこんなこともできないダメなヤツだ」「やっぱり私には無理なんだ」という風に自己否定、自己嫌悪に走る。自己否定、自己嫌悪が積み重なると、人は自分に期待を持てなくなる。セルフイメージが低くなってしまうのである。

セルフイメージが下がってしまうと「自分にはどうせ無理だ」という前提で色々なことに向き合ってしまうから、チャレンジができなくなり、成功体験が遠のく。自分の本意に反することと、後悔というのは、想像以上に危険なことなんである。

昨日の夜のことだ。

僕はポン・デ・リングと静かに向き合っていた。ファンシーな箱と風呂上がりの僕というピースフルな構図に反し、大変に緊迫した空気であった。ポン・デ・リングは開いた箱のフタの間から、こちらを牽制してくる。

ポン・デ・リング「やぁ!僕、ポン・デ・リング!君にモッチモチしてもらいたくてやってきたんだ!」

可愛いヤツである。その可愛さの向こうに、圧倒的な糖分の存在を感じる。危ないヤツである。

僕は葛藤に葛藤を重ねていた。既に2月にトライすると宣言したダイエットを大失敗に終え、むしろ体重は増加傾向である。最近ようやくウォーキングの時間を作り、水の摂取量を2リットルとすることで、少しずつ体重が落ち始めたところだ。ここでポン・デ・リングの誘惑に負けてしまっては、いよいよ僕のセルフイメージは地に落ちる。今後どんなダイエットも成功するイメージが掴めず、強いてはこれから挑んでゆく様々なチャレンジにも影響を及ぼすことになるだろう。残念ながら、今ポン・デ・リングをモッチモチすることは出来ない。僕はフタを閉じようと手を伸ばした。

ポン・デ・リング「お母さん、僕、ダメだったよ・・・一番美味しい時にモッチモチしてもらえないんだよ・・・ごめんね・・・誰かの幸せのために生まれてきたんだから、一番美味しい時にモッチモチしてもらいなさいっていうお母さんの最後の言葉、聞けそうにないや・・・ごめんね・・・」

僕は「ヴァー」と声を上げて手を止めた。そうだ、彼らは僕たちを幸せにするために、そのためだけに生まれてきてくれたのだ。その彼らがベストなコンディションであるタイミングを逃すというのは、彼らの存在意義そのものを否定することに他ならない。っていうか誰、こんな時間にミスド行った人。

僕の逡巡を捉えたポン・デ・リングが、ここぞとばかりに攻め込んでくる。柔らかなフォルムにシュガーの光沢。記憶の底から蘇る、モチモチとした食感。

ダメだ。このままではポン・デ・リングに負けてしまう。僕は自分の本意にも添えないというセルフイメージを抱き、自分でも気付かない深層心理の奥から自分に絶望することになる。悩んだ僕は、この空気に新たな刺激を投入するべく彼女様に電話を掛けることにした。この時間にポン・デ・リングと壮絶な死闘を繰り広げている時点で「意志薄弱」「負け組」「足がくさい」などといった罵詈雑言を受けることは想像に難くない。しかし今必要なのは、僕とポン・デ・リングというこの構図を揺るがす外的な刺激なのである。

彼女様「んっ」

僕「どうもこんばんは」

彼女様「んーんーん」

僕「・・・」

彼女様「・・・(ごくん)」

僕「・・・」

彼女様「ティラミス超おいしい」

ポン・デ・リングはすごくモッチモチしていた。

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もっち、もっち。