「ふざけるな」といって怒られる前にすべきこと。

よく彼女から「ふざけるな」といって怒られる。そういった場合、僕は高い確率でふざけていない。どうしてこのような叱られ方をするのか、不思議である。ちょうど、せっせとポップスを演奏していたら客のひとりが

「そんなものはロックじゃねぇ」

と叫んで暴れだすようなものだ。文法的には「そうだよ」と肯定するしかないが、実際相対しているのは酔った客ではなくシラフの彼女である。直接的な危険度は計り知れない。

このように、人は時折(彼女の場合は頻繁に)怒りのあまり事の論点を見誤ることがある。上述の例の場合、彼女が怒り出した理由が僕が夕食のおかずをボトボトテーブルの上に落としていることであっても、「ふざけるな」という一言があるがために、事の論点が”僕がおかずをこぼしたこと”から”僕がふざけているように見えること”に転換される。その結果、

「すいません、ふざけていました」

と肯定しても

「ふざけてなんかいない」

と否定しても彼女の怒りを増長させるだけ、といった袋小路に迷い込む。この状況から敵の目的が僕の失態を指摘し気付きを与え今後の人間的成長を促すことではなく、怒ることそのものであることが分かる。

こういった状況に陥った際、軽薄なる男性諸氏はどのようにしてその場を切り抜けるべきか。この道28年(2013年時点)の僕が編み出してきた様々なテクニックをご紹介する。

1.平謝りをする

逃げるに然りという言葉もあるが、袋小路故に逃げ場は無い。そうした状況において人命を最優先とする場合、とにかく頭を下げ、陳謝に陳謝を重ねる方法が一般的である。タイミングとしては、相手が「ふざけるな」と言い切るか言い切らないかくらいのタイミングで頭を下げるのが良い。最悪その上で殴る蹴るなどの暴行を受けたとしても、

「頭を下げている人間をさらに痛めつけるとは酷い女だ」

と後々心の中で秘密裏に叫弾することができるから、安心だ。

2.気を失う。

目覚まし時計も覚醒しなければ鳴っていないのと同じ、というように、気を失ってしまえばその後どんな恫喝を受けようがそれ以上のダメージを受けることはない。加えて、おかずを落としたのは、実は気を失う前兆であったのだというストーリーを演出できれば信憑性が増すような気がする。

ただし、一瞬で自主的に気を失うためには相当の訓練が必要である。また、目を覚ましたら「ゴミ捨て場に突っ込まれていた」「盲腸の手術が終了していた」「実は自主的な失神の前に目にも留まらぬ早さで顎を打ち抜かれていた」といったリスクが伴うから油断ならない。

3.他のものに意識を向けさせる。

家畜の牛は健康維持のための注射を打つ際、その痛みを紛らわせるために鼻のリングを思い切り捻られるという。その原理を応用し、おかずをこぼしたことよりも、彼女が目を向けざるを得ないインパクトのあること(「大声を上げて泣き崩れる」「何かに憑依された風を装う」「突然二人に増える」など)を行えばよい。

ただし、ここでインパクトを求める余り、味噌汁を吹っ飛ばしてさらに罪を重ねてしまっては元も子もないし、

「一瞬前にこのテーブルにおかずが落ちた状態で世界が構築されたということを100%否定することはできない」

といった論理的な手段に打って出ても、効果は薄いどころか良くない結果に繋がる恐れがある。センスが問われるところである。

他にも色々あるかもしれないが、とりあえずは上記の三例を抑えておけばある程度の対応はできるだろう。大切なのは、いつ何時怒られるやもしれぬという確固たる確信と決意でもって日々に望むということである。

なお、提案した手段を持ってしても実際被害が免れなかったという際の責任は一切取らない。なぜって、それはそちらの今までの行いやお互いの信頼関係の上で成り立つ事象だからであろう。そんなところまで面倒を見ていられるか。ふざけるな。