MacBookAirが外部ディスプレイを認識しなくなった問題を解決した方法〜あの日あの時この場所で君が映らなくなってから〜

ご無沙汰している。
この3月から東京の会社に就職して、それまでずっと独学でやっていたマーケティングの仕事を本格的にやり始めた僕である。
めまぐるしい日々の中で常に自分の容量を超え続ける仕事に悪戦苦闘し(主に負け戦である)、気が付けば夏も近付く6月末。
体重が増加したことと歌が死ぬほど下手になった以外は元気です。



写真 2016-06-24 11 47 18



久しぶりの記事がこんな内容でどうかと思うのだが、以前から使っているMacBookAirが外部ディスプレイを認識しなくなった症状を苦労して解決したので、防備録というか、同じことで苦しんでいる毒リンゴ患者の皆様を救うべく、こうして記事にしたためる次第だ。
参考資料である。


まずは結論から

ライブラリ/Preferences/ByHost/com.apple.windowserver.●●●.plist

を削除して再起動


【初心者用翻訳】
①Finderを起動し、画面上部のメニューにある「移動」を選択
②縦長の「移動メニュー」が開いた状態で、キーボードの「optionキー」を押すと「ライブラリ」が出てくるので、マウスでクリック
③開いたところに出てくるファイル名「preferencec」をクリック
④「preferencec」の中の「ByHost」をクリック
⑤「ByHost」の中に「com.apple.windowserver.●●●.plist」があるので、それをゴミ箱にポイ
⑥MacBookを再起動



以上である。

●●●の部分は数字や英語が入っている。
複数ある場合もあるらしいが、とにかく全てゴミ箱に放り込む。
そして再起動。

再起動後の画面が自動で外部ディスプレイに出力された時の爽快感といったらない。
あまりの喜びに声を上げたら、布団で寝ていた妻からMacBookにサブミッションを仕掛けるぞという旨の恫喝を受けたほどだ。
もう13時なんですけど。



何度も言うが、あくまで僕のトラブル状況が解決した方法がこれである、というだけだ。
この方法で解決できない人もいるだろうから、その時は頑張って別の情報を探してほしい。
応援している。

では、以下はより詳細な状況だ。
「こんだけじゃわっかんねぇよ!」とか「どうせ暇だし」という人は、目を通してほしい。


あの日あの時この場所で君が映らなくなってから



さっそくなのだけど、僕のMacBookAirで起こっていた症状は以下の通り。

■使用状況

→MacBookAirのThunderboltポートからDellのディスプレイに映像を出力
→MacBookAirは閉じて、クラムシェルモードで使用

クラムシェルモードとは、MacBookに外部ディスプレイとキーボード、マウスを接続し画面を閉じることによって、、まるでデスクトップPCのようにMacBookを使用する必殺モードだ。
画面の増設や複製でないところがポイントである。
外部ディスプレイの大きな画面で作業ができる他、Macを使いこなしているという高揚感および優越感が得られる。
また「クラムシェルモード」という名前が非常にかっこいいので、セッティングの際「チェーーーーーーーーーンジッ!クラムシェルモォォオォッォォォッォオオオオオオッド!!!!!!」などと脳内で叫ぶことにより、その後のモチベーションコントロールまで可能という実にハイテクなサムシングなのである。



■発生状況

→仕事机を整理した後に外部出力をしようとしたら、突然ディスプレイに画面が出なくなった
→コードの接続の問題かと思い、Thunderbolt端子付近になるべく負担の掛からない角度で接続しなおし
→しばらくは使えていたものの、1週間程度でまた外部ディスプレイを認識しなくなる



■講じた対策

※主にググって調査。PS管理の基礎知識など皆無である。

→OS再起動
:効果なし

→ターミナルにコマンド入力
:記事の内容も分からんしそもそもターミナルが何なのかも分からん

→ディスプレイとMacBookを電源抜いて一晩放置
:翌朝復旧して「お前寝不足だったんか、すまなんだ」と陳謝するも、さらにその翌日にはまた症状再発。足下にいた半蔵(チワワ/オス/洗濯物にオシッコをひっかける)を抱きかかえ、雨の川崎に飛び出す程度に錯乱

→上述の方法でファイルを削除
:問題解決。手作りの段ボールハウスの中にいた半蔵(チワワ/オス/ご近所の奥さんにもオシッコをひっかける)を妻が寝ている布団の中に放り込むほどに狂喜



以上である。

この記事で一人でも多くのリンゴ中毒者が救われることを祈っている。

どうしてこれで症状が直るのかって?
知るかそんなもん磯辺揚げでも食ってろ。

僕の心のやらかい場所の膿詰まり手動式水洗トイレ

流行りの心理学をカジってみたら、「人は子供のうちに必ず親に対して劣等感を抱くようにできている」なんていう、ちょっと無視できない衝撃的な情報と出会った。

わが身を振り返ってみれば、優作少年10歳前後、自分のお小遣いで友達からメダルを買った時に、母は「それはお母ちゃんとお父ちゃんの汗なんや」と、手元のプラレールを投げつけながらまさにはち切れんばかりに怒ったものだった。

しかし、どうしてそれが貴重なプラレールのレーンを投擲破損させなければならないほどの事態なのか。
僕が友人に払った100円は、母が僕の小遣いとして渡したものではなかったのか。
それは即ち、僕の手元にありながらも、少なくとも母はその100円玉を我が子の所有物と考えてはいなかったということではないか。
僕が友人から受け取ったメダルに100円の価値があると信じた、ということを信じられないのなら、どうして母は僕にお金なんて難産の権化を渡したのか。

もはや大人になった今、その矛盾は明確である。
しかし当時の僕、一人の日本人としての経済的自立ができない優作少年10歳は、ただただお金を手に入れるのは、母が涙を流すほどに辛く苦しいことなのだということであり、おいそれと他人に渡してはならんものなのだという「母の価値観」を、嗚咽を漏らしながらも飲み込むしかなかったのであった。
そうしなければ、僕は母に突き放されてしまう。
それだけは、絶対に嫌だったのだ。



img_1



まだ見ぬ我が子が同じことをした時、僕は何を思い何を言うか。
脊髄のヒダ裏に潜伏する恐ろしい命題に対する回答は見逃していただきたい。
ただそのような経験を重ねるうち、どうしても精神の成長に肉体の成長が追いつかぬヒトという生き物は、もどかしさの渦中に最も近くにいる人間、つまり親(特に母親)の価値観に染まらねば生きていけない(生かしてもらえない)現実に直面するのだという。

そこで親子の間にどのようなコミュニケーションがあったのか、親の未熟の程度によって、言葉によって、態度や表情によって、子供の劣等感の度合いや傷の付きどころが変わってくる。
そしてその劣等感や傷、総称するなれば「心の穴」が、まさしくその人物をその人物たらしめる大きな要因となって先の人生を大きく左右する。

これがミーハー的にかじった「嫌われる勇気」というアドラー心理学の本で出会った言葉であった。
そしてまさしく本日、麻生区の区役所で転入届を提出すべく待機している最中に読破した「すべてはモテるためである」というAVビデオの監督が描いた本には、さらに恐ろしいことが書かれていた。



「セックスとは、お互いの心の穴の触り合いである」



この言葉には、いっそゾッとするものがある。
この前提に従えば、「物足りない」というのはつまり、「あなたとのセックスでは私の心の穴は埋まっていない」ということになってしまうではないか。
それはまさに、わが「心の穴」の一番奥のやらかい場所(”穴”の奥に場所なんてものがあるのなら)を、ぐしゃりと握りつぶされるに等しい事実だ。

満たされてくれなければ、満足してくれなければ、お眼鏡に叶わなければ、嫌われてしまう。
嫌われたら、突き放されてしまう。
突き放されては、生きていけない。
優作少年10歳は、母から突き放されては生きていけない。
わが精神構造はまるで近代高層マンションのお手洗いのように、用を足した子供が立ち上がると同時に廃棄物を水圧処理するように、誰かから嫌われる、あるいは、嫌わられたという実感を持つことを、極端に恐れるのだ。



そんなだから、「実は水洗トイレの構造はだね・・・」なんて根っこの話しを持ってこられたのだから、当方目からウロコボロボロ現象でしばらく前が見えなくなってしまった。
そんで、気付いてしまった。

わがトイレを見よ。
非近代高層マンションであるわがトイレは、レバーを引かなければ水が流れない。
そこにはんもう見るのもウンザリするような様々な色々が、あらゆる不快の形状をなしてどどーんと鎮座しておられる。
目下の目標は、一刻も早くそれらの詰まり物に星に還って頂き、肥料的なものになって七色の草花を芽吹かせることだ。

誰かのトイレの流し方を考えている場合ではない。
「心の穴」は、穴ではない。
「傷が集まって穴になる」と尊敬すべきAV監督は仰っていたが、その文学的表現はとても美しく魅力的なのだが、彼の言わんとするそれはきっと皮膚の欠落たる「傷」ではなく、出し損ねた「膿」だと思うのだ。

膿が集まるのだから、やらかくなる。
膿が集まったところは触ると痛いから、人目に触れないように服や鎧で隠そうとする。
そうやって自分でも忘れちゃうくらい一生懸命に隠して、じゅくじゅくに膿んじゃった場所を、「心の奥の一番やらかい場所」と呼ぶ、というのは、どうですかねスガさん。



トイレの話しをしたり膿だと言ってみたり、久しぶりの記事が随分ときちゃない感じになってしまったが、これもまた僕にとっての水洗作業であるので、どうかご容赦願いたい。
あと、まるで母が諸悪の根源であるような書きっぷりに見えるかもしれないが、そのいわゆる「母の呪い」を「解く」ことがわが使命でもあるので、断じて母は悪くない。
逆説的だが、「解く」ためには「呪い」が要るのだ。
「呪いが解けた状態」ではなく、「呪いを解くこと」が、やるべきこと、経験すべきことなのだ。

というか、そういうことをしちゃうような「呪い」を、母も持っているのだ。
先祖代々引き継いだ、大切な「呪い」である。
わが血縁に引き継がれし鎖をこの手で断ち切れるのだから、なんかこう、勇者めいててちょっとええ気持ちではないか。ふはは。

ということで、僕は自分が価値がある、楽しいと感じたことに、お金を使ってよろしい。
また、苦でなく楽でお金を生み出してもよろしい。
ただしこの場合の「苦」は「苦痛」ではなく「苦労」であり、「楽」は「楽チン」ではなく「楽しい」であることが前提である。

ドヤ顔で偉そうなことを言っているけれど、まだまだ汚物は山の如し。
めくるめく便器との邂逅は、まだ遠い。
初めて見えちゃった時、感激のあまりキスしちゃったら、どうしよう。
ううむ、お下品でした。

新しいiPhoneってバックアップを復元したら魅力半減するよね

年の瀬に妻が長年連れ添ったiPhone5を落下滅亡させたため、Softbankショップに飛び込んだ。
元々の回線はauであったから、カスタマーセンターのお姉さん渾身のポートアウト抑止トークを華麗にスルーし手に入れたMNP予約番号を握りしめてのダイブであった。



写真 2015-12-31 20 21 15



僕は既に今年の6月にiPhone6を購入して持っている。
なのに不思議と、今回購入したiPhone6にも心ときめいたのだ。
新しい箱から取り出されるiPhoneが、それはそれは魅力的に見えたものだ。

仮に今日購入したiPhoneが中古品であったなら、そのような感動はなかっただろう。
新しいものにはゼロ地点的魅力があるのだ。

ここから始めよう。
イチからやり直そう。

そういった希望が見いだせる。
だから以前のiPhoneのバックアップを復元した時点で、そのゼロ地点的魅力は半減する。
90%減と言っても過言ではあるまい。
デスクトップやフォルダの中身が見慣れたものになった時点で、それはテクノロジーが見せてくれた便利の極みのはずなのに、なぜか少しガッカリしちゃうのだ。

元通り。
今までと同じ。

うん、やっぱり言葉だけでも若干気持ちが萎える。



間もなく2016年である。
毎年年の瀬にやってくるゼロ地点的ワクワク感は年越しの瞬間にピークを迎え、その後気が付くと消滅している。

きっとどこかでバックアップを復元するのだ。
「今までと同じ自分」に戻るのだ。
同じデスクトップとファイルを見て、ガッカリしちゃうのだ。

だから来年の抱負は「バックアップを復元しない」ことにした。

具体的にどう、ということはない。
ただただ、何者にもなれる自分で居ようということ。
ただただ、あらゆる可能性を認めれらる自分で居ようということ。
ただただ、真っ白な自分で居ようということ。

今や見事にバックアップが完了した妻のiPhoneは、僕の興味の枠からこぼれ落ちた。
自分が自分の興味の枠からこぼれたら、それは辛いことだ。

毎晩寝る前に初期化しよう。
朝目覚める僕はすっかり風通しのよくなったデスクトップとガラガラのストレージで、ゼロ地点に居よう。
壁紙はちょっとエッチなやつがいい。
外人さんより日本人のがいいです。



ん、待てよ、ということはつまり毎晩大晦日だ。
毎晩年越しソバだ。
毎朝正月だ。
毎朝雑煮だ。
毎日元日から仕事だ。

どうだ、まいったか。



あ、そうだ。

今年はお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。


薬を飲む覚悟

尻の下には砂と岩が擦れる。
拒まれている訳ではないけれど、受け入れられている訳でもない。
たまたまそういう場所があって、僕が勝手に腰を下ろしているだけという、それだけの場所だ。

時々強い潮の流れがやってきて、重心はすっかり浮いてしまっているから、簡単に姿勢が崩されてしまう。
それは優しく肌を撫でるように圧を掛けてきて、あっさりと僕の体温を奪ってどこかに行ってしまう。

静かなようで騒がしい海の底には孤独と繋がりが同時多発的に存在する。
目を閉じて息の残量を忘れると、ぞっとするような安らぎを発見する。
もしかしたら死とはこういった感覚なのかもしれない。



EPSON DSC picture



開発が進むほどに便利になって、ここからあそこまで車で行きやすくなった。
その変わり気軽に潜れる海がなくなった。
いつか子供が生まれてその道を走ることになっても、思い出話ししかできない。

風力発電はクリーンなエネルギーなのだともてはやされて、山のてっぺんにたくさんの風車が建った。
持ってきたパーツを運ぶために山を切り開き、組み立てをするスペースを作るために更地を作り、事業がひと段落した頃には、地元の農家は山から下りてきた動物たちに畑を荒らされて苦労している。
罠を仕掛けて餌を撒いて中に入った鹿や猿を殺さなければ、自分たちの仕事が立ち行かなくなっている。
山は危ないからといって、子供がロープやスコップを持って登っていくということも減っているらしい。



田舎に帰ると、世間の勘違いがどうしたって目に入る。
インフラが整備されて観光産業が盛り上がっても、生きながら死を感じた海の底は水深以上に遠くなってしまった。
山頂で生み出される僅かなクリーンエネルギーが踏みつけているものは、きっと誰にも気付かれない。

仕事ができて、助かっている人もおりましょう。
便利はとても良いことでしょう。
だけども、便利だけを受け取ることは、やっぱりできんのですね。
表と裏で、プラスには必ずセットでマイナスが付いてきているのです。

それに気付かないでいると、いつか病気になる。
病気になってから、どうして自分が病気になったのか分からないということになる。
薬のカプセルの中には必ず毒が入っているのです。
不安になれ、という意味ではなくて、覚悟を決めて受け取ろう、という話しでした。


何度やっても毛布は掛け布団の下にした方があったかい。

どうにも時計が狂っているようで、全く眠れる気がしない。
しょうがないのでモゾモゾと出てきて何か書こうとすると眠気らしきものが迫ってくるので、しめしめと布団に潜り込んでみると不思議と目が冴える。
ならばどうだとチキンラーメンを作ってすすってみせるべくお湯を沸かしていたらブログでも書こうではないかという気持ちになったので、久しぶりにキーボードを叩いている次第だ。



写真 2015-12-23 3 26 22



いつの間にか冬めいていた。
つい最近まで遥か高き空に見果てぬ夢を見ていたりしたのに、ふと気がつくとコートやマフラーを重ね着た人の足取りが重い。
駅まで歩いてきている人が大半であるにもかかわらず、電車の車内の暖房は濁った空気をうりゃあそりゃあと暖めるから、本を読んでいても額に嫌な汗が出てくる。

僕が寝ている寝室には小さな窓があって、布団の中にいても、その窓から忍び込んできた夜が冷たい空気をわが三十路の体にボトボトと落としているのがわかる。
何が憎くてそうしているのか知らないが、隣で別の布団(僕の布団よりもずっとグレードの高いものだ)にくるまっている妻が



「ゔゔん」



と魔獣のような呻き声を上げながら、僕の布団を剥ぎ取ろうとしてくる。
さらわれた掛け布団への別れの言葉を探していると腰のあたりが冷えてきてしまって、やはりチキンラーメンでもすすらなければ、やっていられない。
冬がきたのだ。


そういえば、何年か前に知って実際に試してみたのだけどどうしても納得ができないことがある。
毛布の正しい使い方というやつだ。

聞くところによると、毛布は掛け布団と体の間ではなく、掛け布団の上に乗せるのが正しいらしい。
そうすることによって保温保湿効果が最大限に引き出され、ただちに快適な睡眠に突入できるというのだ。

この情報を知った当時、僕は千葉の船橋で貧乏な独身奴隷(独身族の中にも階級がある)をしていたから、こりゃあええことを聞いたと喜び勇んで毛布を引っ張り出し、そおれと掛け布団の上に被せて、むふむふと鼻息も荒く永遠の温もりの中に飛び込んだ。

ところが、これが一向に暖かくならないんである。
むしろ毛布のフワフワとした肌触りがなくなり、掛け布団のちょっとドライな、今ひとつ深い関係に踏み込みきれない男女的な距離の間を冷たい空気が泳ぎ回って、歯の根も合わぬほどに寒いではないか。
僕はまたネットの情報に踊らされたと合わない歯の根で歯ぎしりをして、よく冷えた毛布を掛け布団の中に呼び戻したのであった。


すっかり「毛布on掛け布団」説に対し否定的になって過ごしているとどうだ、いつの間にかテレビでも「毛布on掛け布団」の素晴らしさと正しさを主張する特集が組まれているではないか。
その番組は寝ている布団の中に温度計や湿度計を突っ込んで、数字の力を借りて情報の正当性を訴えてくる。
「これねぇ、騙されたと思って一回やってみるといいよ」と、メガネを掛けたナントカというタレントが熱弁を振るっていた。
僕はすっかり騙されて(素直ないい子なんです)、あの日と同じように毛布を掛け布団の上にのっけて極寒の夜を再び堪能した。


結論。
毛布は体の上に直接乗せるのが良い。

温度計や湿度計を何本突っ込んで科学的に検証されましても、僕が体感としてそうする方が気持ち良いと感じるのだから、こればかりは致し方ないのです。
僕はこれからも毛布と触れ合い、毛布にくるまり、この魂が地球に還るまで幾度も訪れるであろう夜を、「毛布in掛け布団」で乗り越えてゆくことを心に誓ったのです。


・・・よし、記事を書いていたら頭もうまい具合にぼんやりとしてきた。
誤字も脱字もあるかも知れないけれど、知ったことか。

目をこすりながら寝室に戻ると、妻が僕の掛け布団及び毛布を見事に略奪し、己の布団に重ねていた。
薄暗い中わずかに残った布団面積を注視すると、半蔵(チワワ/オス/4才)が潜り込んで「ぴぴぴすぴりぴぴィ」とわけの分からない音を出しつつ眠っている。

奪われた布団んを引っ張ると、妻は



「ゔゔん」



と魔獣のような呻き声を上げてそれを阻む。
合間に、「暑ぅ・・・」という声が聞こえた。
僕の利益になることなら、多少自分に不利益を被っても絶対にしないという決意の現れであろう。

デスクに戻って時計を見ると、間もなく4時だ。
先日止まった新橋のカプセルホテルの布団は、実に気持ちが良かった。
意識は朦朧としていて、今日も朝から仕事で、そういえば、雨も降るらしい。
今日は長い1日になりそうだ。


いつの時代にも「昔はよかった」と言う人がいる理由

先日久し振りに近所のイオンでケータイコーナーを覗いた。
スマートフォンの台頭により高級カマボコ板売り場と化したケータイコーナーはやはり見た目に退屈で、イオンの気だるい色柄も含めてどうにもヤル気が出てこない。

加えてイオンモバイルは値段の表示も実に分かりづらくて、ただでさえジッシツやらエムエヌピィといった愛のない言葉が飛び交うケータイの料金世界をより混迷させている。
昔auのお兄さんをしていた時にイオンには何回も行ったけれど、あんなところでケータイなんて高額なものを買う人の気がしれないってやっと言えたぜコンチキショウめィ。

images

そんなことをブツブツ言いながら売り場をさまよっていると、なんだ、昔ながらの二つ折りケータイもまだ割といるではないか。
僕は嬉しくなって、見本のモックをパカッとやったりパタンとしたりして、しばし開閉のヨロコビを噛み締めた。

当ブログでも度々語ってきたことだけれど、僕はギミックのあるガジェットが好きなのだ。
本当はギミックなんて故障の原因にしかならないことも分かってるし、余計なギミックがあることで開発コストが上がることも知っている。

しかし嗚呼だがしかし、思い出そうではないか同級生諸君。
8和音くらいの着信音がぴーぴろりーと鳴り響き、サブディスプレイに好きな子からのメールの着信が表示されていた時のあの興奮を。

今ならタッチひとつでLINEのメッセージ画面に行けちゃうけども、当時はそこに「パカッ」というワンアクションがあったのです。
ご存知の通り、恋は焦らされると燃え上がるもの。
ああそうか、だから身を「焦がす」と言うのか。
まあそれはそれとして、時代が変わってあの子のハートが近付いた、なんてことはございませんでしょうが、少なくともあの子のメッセージは近付いてきたのであります。

もう何が言いたいのかもよく分からなくなってきたけど、結局ほら、一番感性が豊かで、感情が動いていた時期に触れていたものは、やはりいつまで経っても心の中に残るものなのだ。
荒れ狂う感情の波に弄ばれた初めての恋を忘れられないのと、基本的には同じことなんである。

「昔は良かった」なんて言ってると懐古厨とか言われてバカにされる時代だけれど、「昔は良かった」と思うように出来てるのが人というものだ。
万葉集だかなんだかにも「最近の若いヤツは言葉づかいがなってない」的なことが書かれていたということだし、やっぱりみんな自分が正しくて素晴らしいと思っているということなのだ。

だって、あの頃キラめいていたのだもの。
全てが輝いて見えていたのだもの。
初恋の相手をいつまで経っても忘れないことと、十代の頃に聴いていた音楽がその人の音楽性を確立するという説と、スポ根に生きた人がその後もスポ根的生き方を正しいと信じ続けることは、基本的には同じことなのだ。

それはそれで、よいではないか。
納得の出来ない生き方を押し付けてくる人は、適当にかわすか逃げ出すかしておけばよろしい。
その場の雰囲気で自分の考えを歌うこともございましょう。

ただ最後は、自分の人生を決められるのは自分だけで、他人の人生を決められるのは他人だけだ。
それが分かっていれば人の言葉に必要以上に振り回されたり、人の考えに手を突っ込もうとするような無粋なことも減るだろう。
それはきっと、幸せなことだ。

ただ、これだけは言っておきたい。
もうちょっとギミックが楽しいスマホがほしい。

gzone
G’zOne Brigade。
こういうのが大好物。

専門家の言葉は分からない

誰にでも分かる言葉というのは難しい。
僕なんかは自分の好みでわざわざ簡単に言えることを小難しく言ったり書いたりすることが好きなものだから、「誰にでも分かる」はわが嗜好の対角線上にあるように思う。

しかしパソコンのような電子機器やインターネットのプロキシやら何やらという専門用語の羅列に相対すると、「もう少し誰にでも分かるように書かなければ意味がないではないか」と憤慨する僕がいる。
難解な技術書やマニュアルに向き合ってGoogleで解説を探したらそこでも謎の言葉が現れてさらに検索して…といった荒業に快感を覚える特殊性癖でもあればいいのだろうが、そんな変態さんを想定して書かれたものが技術書やマニュアルと呼ぶのはアンタ、いくら何でも仕事サボり過ぎじゃないか。



PAK88_tetuyaakenosyain20141123141151-thumb-815xauto-18076

このように、人間その時その場の立場ひとつで意見が大いに変わるものだ。
禅の世界ではこれを「日々是新」と呼ぶそうだが、きっと禅僧も専門用語がぎっしり詰まった取り扱い説明書などにはかァーーーーツ!と一発入れたくなっちゃうに違いないのだ。

禅僧でさえそうなのだから、正座なんかやっちゃうとものの5分で下半身麻痺状態に陥る我々俗人は、その場の怒りに飲み込まれて当然であろう。
そんな俗世を生きるに当たって大切なことは、やはり「相手にとって分かりやすい言葉」を選ぶことではなかろうか。

例えば、農業を営む人には草木土水に例えて語る。
接客業を営む人には人の視線や身振りなどに例えて語る。
自分の中に専門的な知識がなくとも、相手との共通言語を探る努力をする。
これがあるだけで、コミュニケーションは実に潤滑になる。

「専門性」とは深い縦穴のようなものだ。
その奥を覗いた者はえもいわれぬ恍惚感に陥って気持ち良くなれる反面、広い視野や見聞といった他者との共通言語を見失いがちである。

私は何の専門家でもないと言う人もいるかもしれないが、それはない。
人間誰しも「自分」の専門家なのだ。
その経験、その価値観、その論理は、自分だけのものだ。
違う親の元に生まれ、違う人間関係の中で育ち、違うものを食べて違う歌を歌い違う風景を見てきた人間が、同じ訳がないではないか。

僕らは時々そのことを忘れて、気遣いの面倒を回避する理由に「常識」だとか「普通」という言葉を引っ張り出す。
「これが社会の常識だ。」「これくらい普通にできてもらわないと。」そんなことを言う度に、何か大事なものがすり減ってゆく。
それはきっと相手との信頼関係や、この先築けたかもしれない幸福な未来なのだろう。

毎回とは言わないし、相手にしなくても良い人というのは確かにいる。
だけどまずは、目の前の人に理解して貰えそうな言葉を選ぶ。
いつまで経っても、どんなに大人になっても、やっぱりここから始めてゆきたい。

スズメバチカレーにスズメバチは入っていない

自分が良いと思わないものが、他人にとって良いということは実によくある。
楽曲を自作してステージに上がると、渾身の一曲がどうにも手応えなく、パパッと簡単に作った曲に拍手と注目が集まったりするのだ。
当初はこの現象を嘆いたりもしていたが、人の好き嫌いは突き詰めると実に深遠なる嗜好の闇に飲まれてゆくものだ。
そういうものなのだと悟ってからは、人の好き嫌いを見定めることも楽しくなった。

mqdefault

「好きなことを仕事にする」というフレーズが一時ブームになった。
多くの人が現在の職を捨て、新しい人生へ踏み込んだと聞いている。
その結果、底なしの地獄まで真っ逆さまに落ちた人も多いと聞いている。

別に驚くことではない。
僕自身がつい数年前まで「田舎から都会に出てきた自称ミュージシャン」をやっていたのだ。
地獄の底も底、コケを食って生きているような日々であった。
「好きなことを仕事にする」という言葉の危険性は嫌というほど知っているのだ。

どうして「好きなこと」は「仕事」にならないのか。
誰がこんな無責任なことを言い出したのだ。
責任者を出せ。

そう騒いでみても、現実が変わるわけでなし。
万が一責任者なんてのが居たとしても、その人の言うことを聞いて行動したのは自分自身である。
万が一分の万が一お金など貰えたとしても、自分の行動のケツを人に拭かせる人生は果たして豊かで幸せだと言えるだろうか。
今度はその責任者が死んでしまったらどうしよう、などという不安が現れるに違いない。
責任者に取ってもらえる責任など、この世のどこを探しても出てはくるまい。

「好きなこと」が「仕事」にならない明確な理由がある。
「好きなこと」は、「自分が好きなこと」なのだ。
アンタの「好きなこと」は、「アンタが好きなこと」。
僕の好きなことは、「僕の好きなこと」なんである。

そして「仕事」とは「奉仕する事」である。
大阪駅前第一ビルの地下にあるスズメバチカレーだって、あのカレーが食べたいという人がいるから、お店として存続しているのだ。
少し前に一見の客が「このカレーにはスズメバチが入っているから独特の風味と辛さがあるのですね」と言っていたが、そんなアブナイ虫は触覚一本だって入っちゃいねえのよ。
辛口のカレーでむせると非常にしんどいので、そういうテロ行為はやめていただきたい。

話が逸れてしまった。
偉そうなことを言いたい訳ではない。
結論から言いますと、「仕事になる好きなこと」と、「仕事にならない好きなこと」があるということなのです。
例えば

「延々畳の目の数を数え続けることに尋常ならざる幸福感を感ずる」

という方が居たとして、その方に「好きなことを仕事にしましょう!」なんてお声掛けした日には、それはあなた人ひとりの人生がい草の隙間に堕ちて絡んで取り戻せなくなってしまいます。
それならば日本料理のお店などで給料を発生させつつ自宅の畳の目の数を数えあさり、隙あらば二階の大宴会場の畳の目の数を数えんと虎視眈々としている方が、よほど社会の中では楽しく生きていられるのではないだろうか。

「好きなこと」と「仕事」を繋げるには、それ相応の工夫やコツがいる。
自分の快楽に焦点を合わせているうちは、お客の顔は絶対に見えてこない。
自分の快楽に焦点を合わせて生きていたいのなら、是非「好きなこと」と「仕事」は繋げない方がいい、というか繋がらない。

自分が「好きなこと」を「仕事」にしたいと思っている人は、是非その辺を考えてみてほしい。
自分の「好きなこと」で喜んでくれる人はいるだろうか。
自分の「好きなこと」でどうやったら人を楽しませたり、役に立ったりすることができるだろうか。

なんかまあそういうコトを、最近も飽きずに考えたりしているんである。

妻と両家の焼き肉でハルカス

品の良いお兄さんに連れられて6人掛けの個室に入った。
予約していた時間よりも15分ほど早い到着で、先に渡すものを広げておこうと言って両親が赤やら金やらの装飾がされた色々をテーブル上に展開した。

「結納は端折ります」

と言ったはずなのだが、どうにも我が家の両親の(特に母の)気持ち治り難く、結局押し付けるような形で結納の品を用意してくれたのだ。
たくさんの気遣いのそれは嬉しいのだけど、贈り物というのはやはりどうしても受け取る側の心の負担が大きいものだ。
元々ないはずのものであったから、なおさらだろう。
彼女様家のご両親に対し申し訳ない気持ちを抱きつつ、聞いたこともない口上を述べる父と義父のやり取りを見守った。

P016054111_480

ずっと彼女様のことを「彼女様」と呼んでいる。
まだ籍は入れていないのだ。
もう「妻」などと呼んでもいいのかもしれないが、そうするとどうにももうニゲラレナイ的袋小路感が僕の中でスパーキングするので、若干の抵抗を覚える。
しかしでは「彼女様」のままでいれば逃げられるのかというとそういうことはこれっぽっちもないので、ううむこれはやはり、「妻」と呼んだ方が自分の中から余計な希望を拭い去る意味でもいいのかもしれないと、あれこれ思いを走らせている。

よおしここはひとつ、腹をくくって「妻」と呼んでみよう。
音楽仲間であり大先輩である『相模の風theめをと』という夫婦バンドのいしはらさんは奥様の風来さんのことを「ツマ」とカタカナ表記していたから、僕はそこと被らないように「妻」と漢字で表現すべきだろう。
漢字表記の方が生々しい雰囲気が漂うが、実際そうなのだから仕方あるまい。
むしろカタカナ表記でネタ的様相を演出するよりも堂々としていてよいではないか。ふはは(錯乱)

すまぬすまぬと恐れ入っているうちにご挨拶が終わり、呼び出しボタンを押してスタッフのお姉さんを呼び出した。
ホテルの朝食バイキングを食べ過ぎて腹がいっぱいだと言う両親を横目に、焼き肉ランチを注文する。
あべのハルカスの7階にあるこの焼肉店では、おお、ハラミ一皿が980円もするではないか。
ここまできたら値段を気にするのは無粋というものだ。

少しすると立派な肉がどしどしと運ばれてきた。
人数分の料理を頼むとテーブルの上に乗り切らないというパラドックスを食事のペースを上げるスピード術でもって乗り切る。
もう少しゆっくり味わって食べたいと思いつつも、やはり多少緊張しているのだろう、今ひとつ舌も落ち着かない。
和歌山の田舎から出てきた両親もさぞ落ち着かぬであろうと目を向けると、母が八海山をグラスで寄越せと騒ぎはじめた。
しこたま飲んで倒れてしまえ。

両家両親のご協力があって、会食はつつがなく終了となった。
特に父と義父は同い年の公務員同士とあって、実に話しが合ったようだ。
焼き肉の後で丸福コーヒーで一服ついたのだが、身を乗り出してゴルフの話しをしている父が実に印象的だった。

「今度段取り組みますよって」

と燃え上がる父。
あんた、自分がゴルフ行きたいだけだろう。

解散後は両家別れて行動した。
チーム山本家は駅ビルの中を探索し、ABCマートで父の靴を買った後でもう一回お茶をした。
一緒にハルカスの展望台に登ろうと思っていた僕の親孝行な目論見は、食事会の直前に母から届いた「ハルカスの展望台にいます」というLINEメッセージで粉々に砕かれていたのであった。
改札に入っていく両親を見送ると、やはり少し寂しくなった。

「あれは?」「これは?」と聞かれる度にそれに答えを用意すべく行動をしていると、いつの間にか事は前に前にと進んでいる。
結婚は周りが進めるものだとよく聞くが、まさしくその通りであった。
ただ、自分たちが非常にゆるい結婚をしているものだから、もし将来的に自分の息子娘が結婚するのだとなった時に、今の両親たちのような振る舞いは、きっとできないだろう。
その時代にはきっと「結婚」というものの概念そのものが変わっているだろうから、あまり必要ないのかもしれないが。

さよならプライベート空間

暫く寝てるんだか寝てないんだか分からない日々が続いていた。
2時間ほど仕事をして、1時間ほど仮眠をとってまた働く。
昼間は別の仕事をしているから、そちらもおろそかにはできない。
短い睡眠時間で元気になる方法を調べたりコーヒーや体に悪いと評判のエナジードリンクをがぶがぶ飲んで仕事していたら、彼女様が鬼の形相(標準装備)をして仕事部屋に入ってきた。

「寝られへん死ね」

我が家では唐突に死刑宣告が下されることがあるのだ。
一体どの件で眠れないほど怒っているのかと尋ねたら、普通に布団に入っても喉が痛くて眠れないと言う。
取り急ぎ僕の何かに怒っている訳ではないということで安心したが、このままストレスが溜まって暴れられたりしたら仕事どころではない。
僕は色々考えた後、寝室にしている和室から布団を一組連れてきて、僕の仕事部屋の空いているスペースに敷いてみた。

彼女様「なんでお前の尻見ながら寝やなあかんねん」

僕「和室は喉が痛いんでしょう。あの部屋どれだけ掃除しても埃っぽいから、この部屋の方が喉は痛くないかもよ」

彼女様「うぬう・・・」

そうして彼女様は渋々布団に入って、僕の尻を見上げた。
僕は尻を千本の針でつつかれるような思いでパソコンに向かって、未だ要領を得ない仕事に手探りで飛び込んだ。

しばらくキーボードを叩いていると、「あ、寝れるわ」と彼女様がつぶやいた。
やはり埃は大敵であるな、と振り向かずに声を掛けたら、「いつ見ても働いてるヤツを見ながらってすごくよく眠れる」と帰ってきた。
振り返っていたら、涙を見られていたかもしれない。

次の日、昼の仕事を終えて帰ってきた僕に彼女様が告げた。

彼女様「今日からあの部屋で寝ます」

僕「そうなんですか」

彼女様「和室は埃がすごいので、寝たくありません」

僕「いいけど、僕ずっとパソコンカタカタやってて、君毎晩落ち着いて寝れるのかい」

彼女様「出ていけ」

僕「えっ」

彼女様「あの部屋を明け渡せ」

僕「えっ」

和室に現在ズボン掛けとして活用中のテレビとソファを移転して残った寝具を元の仕事部屋に運び込むと、いよいよ僕はプライベートな空間を失った。
振り返るとモモンガが飯をくれとゲージの中を飛び回っていて、トマトでもあげようと冷蔵庫に近づくと半蔵(チワワ/オス/太い)が床に垂れ流した尿を踏みつける。
疲れてチョコレートを食べていたら、大河(チワワ/オス/白い)を抱えた彼女様が「私のお前より大事なチョコを食べたな」と言って迫ってきて、モモンガはいっそう激しくゲージの中を飛び回る。
ベランダの向こう遥か彼方に、あべのハルカスの針金のような灯りがきらめいていた。

harukas_night201311_02