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だーれがこーろしーた
子どもは周りの大人のマネをしようとするものだけど、ある程度自我が発達してくると、マネではなく演技をするようになるみたいで。少なくとも僕はそうだったのだけど、ある特定の動作をマネするのではなくて、「その人っぽく振る舞おう」とし始める。それがちょうど、5歳くらいだったのだと思う。
マネをする相手は大抵両親である、なんて思いがちだけど、「ピン」ときたら、マネする相手は先生でも友だちでも犬でも猫でもなんでもいい。当然、アニメのキャラクターなんて、完全にマネっこ対象である。そしてその時僕が「ピン」ときていたのは、アニメ「パタリロ」のキャラクター、バンコラン氏であった。
夢の「断る」
パタリロは、まあもちろん意味を分かって毎週見ていたわけではなくて、何かの拍子にある話しのあるシーンだけが目に入っていた、という程度の認識であった。そのシーンでバンコラン氏は、長髪の美女が差し伸べる手に背中を向けて、一瞥もしないうちに「断る」なんてバリトンボイスで呟いちゃったりして、それが僕にはなんともかっちょよく見えたのだった。
僕はすっかり誰かに「断る」をしたくてしたくてたまらなくなった。しかし、誰に「断る」をすればいいのだろう。無意識に母は対象外だったし、幼稚園の先生もなんだかそういう雰囲気ではない。ならば友だちの女の子しかあるまいということで、バンコラン氏に袖にされていた女性にいちばん近いと感じた、同じさくら組のよっちゃんに白羽の矢を立てたのだった。
自由時間中によっちゃんに声を掛けて、「そこで砂遊びをしているから、一緒におままごとをしようと誘ってほしい」と伝えた。ちなみに、その時点で僕は一度もよっちゃんからおままごとに誘ってもらったことはない。ただ「断る」をしたいがために、同じ組でいちばんかわいいと思っていた女の子に声を掛けたのだ。驚異の胆力であると言わざるを得ない。
僕はその場にかがんで砂遊びを始めた。よっちゃんは律儀に、ろくに興味もない男子の思いつきに付き合って、その後おままごとをする予定もないのに僕に歩み寄り、「おままごとしよ」と言ってくれた。実にいい子である。そんなよっちゃんに僕は手元の砂をいじりながら、こう言い放った。
「こ・・・ことわる」
噛みました。違う、わざとじゃない。普通に緊張した。なんでか分からないけれど、よっちゃんが近付いてくる足音を感じた辺りから、なんだかめちゃめちゃドキドキしはじめたのだった。脳内には例のバンコラン氏のシーンが何度も再生されるというのに、フレームの脇に咲いていた薔薇の数が数えられるほど鮮明に思い出されるというのに、僕はすっかりバキバキに仕上がってしまったのだった。
その後どうしたのかは覚えていない。まるで記憶がないから、その場で気を失ったのかもしれない。ともあれ、僕は大いなる緊張を経験した。どうしてあんなに緊張したのか、明確な答えはないけれど、今でもLiveでステージに立つ時、自分が自分以上の結果を出そうとしている時は異様に緊張をするから、もしかしたらそいうことなのかもしれない。
なお、僕がパタリロに出てくる美少女は実はほぼ全員が男性で、バンコラン氏が「美少年殺し」と呼ばれていることを知るのは、これよりはるか未来のことである。
バンコラン氏の世界は、幼稚園児には早すぎた
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