ゆーさくはこういう人

山本優作
1985年9月13日 和歌山県生まれ

幼少期より好奇心旺盛な美少年として成長。主にダンボールや新聞紙を材料にした工作や、学研ニューブロックを使ったロボット作りなどを通してクリエイティビティを発揮する。

小学5年生の頃に(エッチな本を探して)実家の押し入れを物色していたら、偶然クラシックギターを発見。それをきっかけに、昔ギターを弾いていた父から手ほどきを受ける。この経験を通して、形のない音というものを形作っていくという概念と、ギターが弾ける自分は特別な存在なのではないかという勘違いを得る。

中学校に入学後、サザンオールスターズの『HOTEL PACIFIC』に胸打たれ、桑田佳祐氏に憧れはじめる。同時期に同じく押し入れから発掘したフォークギターで弾き語りを開始。当時盛況だったゆず、19などのJフォークには目もくれず、ひたすらサザンの曲をカバーし続けた。あと、どの家庭の押し入れにもギターが眠っているものだという勘違いも得た。

高校入学後に憧れていた空手部に入部(中学校は生徒数が少なすぎて、軟式テニス部しかなかったのだものなあ)。縁があって1年生の夏に地元の劇団が主催するミュージカルで主演を努める。これが舞台デビューとなる。また、部活以外の道場にも顔を出すようになり、3年生の秋には二段を取得。音楽からはちょっと遠のく。

高校卒業後、音楽の専門学校に入学。同時に家を出る。それまで自分が特別な存在でいられるはずだった音楽で、自分よりも遙かに格上の人々の存在を知り、大いに挫折。なんとか彼らと同じ土俵で戦う術はないものかと模索しているうちに卒業。苦しい日々の中、ダンス科の女子達がスタイル抜群だったことだけが鮮明に思い出される。

専門学校を卒業後、役者を目指す友人と友に上京。ルームシェアをしながらバイトをして、メジャーデビューを目指してライブを続けるも挫折。友人との関係も一時的に悪くなり、家を出て一人暮らしを始める。大手通信会社に派遣社員として勤め始めるが、日々のノルマや接客のストレスが重なって心を病み始める。

23歳ごろ。身心の疲弊に反比例するように音楽の腕前や人脈が広がり始める。デビューを目指して事務所に入ったりもしたが、足の遅さに辟易として脱退。フリーランスのミュージシャンとして生きていく術を探し始める。が、いよいよ鬱めいて、仕事ができなくなる。

なんとか鬱を抜けたのち、音楽だけでなく自分の生き方を見直し始め、その際心の仕組みに興味を持つ。心理学やスピリチュアル、ビジネスなどを勉強しながら自分を立て直し、いよいよフリーランスとしての独立を決意。

27歳ごろ。フリーランスのミュージシャンとして独立する前段階として、一旦関東を離れ実家に帰る。あと一歩でゴミ屋敷という様相でだった実家を家族の協力を得ながら1年間かけて大掃除。その後母が昔からためてくれていた貯金を受け取り、大阪でミュージシャンとして旗揚げ。

ブログを中心にwebでの情報発信を基盤にしたビジネスモデルで1年間活動。企画したイベントはいずれもソールドアウト。アーティストとしてだけでなく、弾き語りの講師や、フリーランスミュージシャンのためのビジネス情報を発信するセミナー講師としても活躍。東京と大阪をものすごい勢いで往復する。

30歳ごろ。営業したくなかったのに、営業しかしてねーじゃん、ということでなんか疲れちゃって、フリーのミュージシャンを引退。某大手通信会社のコールセンターで働く傍ら、マーケティングの作業を部分的に手伝うアルバイトを掛け持ち。10年間付き合った彼女ととうとう結婚。

31歳。アルバイトの仕事を受けていたマーケティング会社に正社員として入社。会社が東京だったため、妻を連れて2度目の上京を果たす。

32歳~。職場のボスの紹介で、アレクサンダーテクニークとよばれる体の使い方の概念と出会う。思考だけでなく、体を動かすという視点から自分の心にアクセスできることを実感して、大いに感銘を受ける。その後NVCというコミュニケーションの手法を学び、現在習得のために日々実践中。これまでの学びと経験を整理して『自分とイチャイチャしながら生きる方法』の情報発信を始める。

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