人は悪意の有無に関わらず、他人に迷惑を掛けて生きている。子供が両親に掛ける迷惑の数々は言わずもがな、友人同士であっても先輩後輩同士であっても恋人同士であっても、いくらかの迷惑のやりとりは存在する。信じられないなら、僕の周りの人間を見るがいい。山本に迷惑を掛けているなど、毛ほども感じていないはずだ。
人と人はこの迷惑を許しあうことでお互いのグレーなゾーンを容認し、そこをのりしろに人生を重ねる。他人に厳しい人に心許せる相手が少ないのは、こののりしろの部分が狭いからなんである。僕の周りの人間も、もう少し僕のことを許す広い心を持つべきだ。先ずは、ライブでの演奏の失敗を許す辺りから始めてみてはどうだろう。
つい先ほど、僕がスーパーで今日の昼食を買っていた時のことだ。大好きなアジの天ぷらと紅生姜の天ぷらをトレーに乗せた僕は、鶏の天ぷらの不在を残念に思いつつ輪ゴムでトレーを閉じようとした。
ところが、僕の左手にはチキンラーメン(5食入り)とキムチと納豆が積まれている。トレーは、残った指でかろうじて支えていたんである。そんな状態では安定したプレーができる訳もなく、僕は右手一本で、至極不安定な状態でもって、輪ゴムの装着作業に挑むことになった。
まず右手の指で輪ゴムを開く。左手の指でつまんでいるトレーのフタを閉じながら徐々にゴムを引っ掛ける。閉じと留めを同時にこなそうという、非常に高度な技術の要求される作業である。
しかし、ここで誤算があった。トレーを支えている左手の指が、当初の予定ほども踏ん張れないんである。それどころか、普段使わない筋肉を使っているため、既にアジの天ぷらと紅生姜の天ぷらの入ったトレーを支えているだけで精一杯だ。
僕は冷たい汗を感じた。このままトレーを落とすようなことになったら、「あれーこの子天ぷら落としてどうすんのコレ弁償するのかしら」的な視線に包まれることは必至である。
かといってトレーのホールドを優先した結果キムチと納豆を落としてブチまけようものなら、異臭騒ぎの現行犯としてキムチと納豆の風呂に沈められた上で市中引き回しの刑は避けられまい。最近ようやく知り合いが増えてきたのだから、そういった方向からの知名度の向上は身の破滅に繋がる。
押すしかなかった。左手の指に全神経を集中する。この時余計な力を込めてしまうと指がつることを、僕は過去の経験(似たようなことが年に数回あるのだ)から知っている。このまま輪ゴム留めと成功させる他に、僕が助かる道は無い。
伸びた輪ゴムがトレーに当たってパリパリと言いながら、そのフタをゆっくり閉じていった。アジと紅生姜の天ぷらの上に、透明なプラスチックのフタが重なってゆく。誰もが作業の成功を確信した、その瞬間であった。
僕の右手小指の隙間から己が張力に耐えきれず飛び出した輪ゴムが「パツッ」などという軽快な音を立て、トレーのフタの開く所作などとも合流しつつ勢い天高く舞い上がると、回転による遠心力と空気抵抗にその身を揺らしながら粉雪が如く降り注ぎ、僕の隣でゲソ天を物色していたおばちゃんのパーマ頭に不時着した。
一瞬の静寂はスーパーの喧騒に押し流され、まるで何事もなかったかのように日常を演じ始めた。僕のトレーのフタはカパカパとしていて、輪ゴムはおばちゃんのパーマの上でプラプラとしている。
不意に、天ぷらバイキングコーナーの向こうにいたスーパーの店員と目が合った。40代半ばであろうその男性店員は調理加工用のマスクと帽子の奥で、満面の笑みを浮かべていた。
僕は新しい輪ゴムを手に取ると神の速度でトレーを閉じ、残像でも残るのではないかという勢いでレジへと駆け込んだ。途中納豆を落としかけたが、なんとか踏み止まった。
人は人に迷惑を掛けなければ生きていけないものである。悪意の存在は関係ない。生きるというのは、迷惑を掛けることとイコールである。健全なイケメンとして生きていても、このように何の罪もないおばちゃんの頭を輪ゴムで爆撃するような事態になるのだ。人生は、かくも油断ならない。
件の輪ゴムは緑色。
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