ストレスからの過食からの嘔吐からのパッカン

8日に夏休みが終わって9日から働いているのだけど、この数日間のストレスがスゴすぎて、過食と嘔吐をやってしまったのだった。
今までストレスで食べ過ぎることはあっても、ひらがなを抜いて漢字を並べ替えて「過食」と呼んでしまうくらいの詰め込みは経験がなかったし、ましてそこから食べたものを全部吐くなんてことも初めてだったので、自分でもすごく驚いた。

小一時間ほどゲーゲーした後、しばらく放心した。
嘔吐すること自体が久しぶりで、これほど全身が疲れて、脳がフリーズするような感覚になるものだったろうかと、そんなことを考えていた。

放心状態はそこからさらに小一時間ほど続いたのだけど、ようやく体が動くようになったら、突然何かが吹っ切れた。
神奈川に戻って僅か2日でここまでのストレスを溜めてしまった原因は仕事だ・・・と思いたかったのだけど、絶対にそうではないという確信があった。
むしろ、今まで見逃し続けていた大事なことに気付けるのではないかという予感がムクムクと湧き上がってきた。
僕は、ああ、何かに導かれるっていうのはこういうことを言うんだなと、そんな気持ちでヨロヨロと立ち上がり、シャワーを浴びてデスクに向かった。

◆◆◆

僕は今日会社でプリントミスした際に誕生した大量の裏紙とペンを取り出し、自分コンサルを実施した。
自分コンサルは、つまりは自分との対話である。
僕は紙とペンを使って、紙面上で行うようにしている。
脳内だけでやろうとすると、マイナスな思考や感情が入り込んできて、問題が悪化したり堂々巡りになったりするのだ。

僕のコンサルタントは、僕のことを「優作」と呼ぶ。
とても優しくて、絶対に僕を否定しない。

そんなコンサルタントに胸の内を伝え、質問を受け、さらにそれに答えて・・・ということを4時間ほどやった所で、ひとつ答えが出た。
僕は、『仕事を楽しんではいけない』という気持ちを握りしめていたのだ。

◆◆◆

自分コンサルには約4時間が必要だった。
そのために100枚近くあった裏紙のほとんどと、サインペンを1本丸々使い切った。

僕の中では、「楽しむ」と「遊ぶ」は限りなくニアリーである。
そして、今僕が仕事で自分にはできないと思っていることが、遊びの中では全く問題なくできている。

ではどうして遊びでできることが仕事ではできないのか。
昔家の中で弟達と夢中で遊んでいる時に、手に持っていたテレビのチャンネルがすっぽ抜けて、隣りにいた母の額を直撃したことがあったのだ。

「痛ッ」と言って頭を押さえる母を見た瞬間、

「痛いことをして申し訳ない」
「怒られる」
「嫌われる」
「見捨てられる」
「見捨てないで」
「許して」
「もう近くで遊ばないから」
「もう近くで楽しまないから」

そんな思いが一緒くたになって優作少年の胸中に渦巻き、間もなく32歳になろうかという本日においても、ずっと渦巻き続けていたのだった。

で、ここからが本当に恥ずかしい、言いたくない話し。
僕の仕事のボスは母と世代の近い女性なのだけど、僕はボスにその時の母親を重ねて見ていたのでした。
つまり、ボスの近くで「遊ぶ(=楽しむ)」と何かものすごい迷惑を掛けて、嫌われて見捨てられてしまうんじゃないか、という恐怖を、ずっと抱いていたのだ。

だから、「遊び」の中でなら当たり前にできていることが、「仕事」の中ではできない。
「仕事」を「楽しむ(=遊ぶ)」と、嫌われて見捨てられてしまうから。
だけどそれでは自分の能力が全く使えないし、良い結果も出せない。
具体的な対策はいくつも見えているのに、それらに取り組むことは「仕事」を「遊び」に近づけることになるから、どこかでブレーキが掛かってしまい、本格的に取り組めない。
だから自分の成長を感じられず、期待に応えられていないという実感だけが大きくなってしまい、焦ってなんとかしようとしても、これ以上成長しようとすると見放されてしまうので、だけどそれだと・・・という堂々巡りが起こっていた。

そこから発生したストレスが何かのきっかけで溢れてしまい、今回の過食と嘔吐につながったのだ。

◆◆◆

だけど少し考えてみれば、夢中で遊んでいる時に母に痛い目を見せたのは、その1回こっきりである。
いやいや、もしかしたら何回もあったのだけど、僕が認識したのがその1回だった、ということかもしれない。
いずれにしても母は僕のことが大好きなので(確信)、んもうそんなことを心配する必要は全くないんである。

・・・ということに気付いて、明日からの仕事はどう変わるんだろうか。
胃酸で喉が焼けていて、唾を飲むとじわりと痛む。
神棚に置いている写真立ての中で、今日もふーばー(曾祖母:享年103歳)が優しく笑っている。