わが愛しのAm P.38:吹き出す罪悪感(2018/08/28)

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大嫌いなアイツ

ひとつ下のクラスに、すごく嫌いな女子がいた。自分の言いたいことは全部言うし、殴るし蹴るし、好き放題である。そのくせこちらから嫌なことを言われたらすぐに先生に言いに行くという、アニメに登場する”嫌な女子”を絵に描いたような子だった。

先生に報告が上がると、大体において教室の隅などで裁判らしきイベントが発生する。被告人である僕はその子に対して「どうしてそんなことを言ったのか」を問い詰められるのだけど、その理由は常日頃からその子のことが嫌いでムカついたからであって、具体的な何かがある訳ではない。しかし、当時の僕はそのことを表現するだけの語彙を持っていなかったし、無意識に、そのような根拠が裁判における僕の立場を救うことになるはずがないことを理解していたのだった。

結局毎回僕が渋々謝ることになるのだけど、そうするとヤツは「気持ちが込もってない」などと言い始める。ある日突然交通事故とかで死んでくれないかと心から願ったのは、一度や二度ではない。

謎の罪悪感

僕が6年生になったころだったろうか。どこかで誰かに僕がその子の悪口を言っていたら、どこからともなく現れた女の子が、「○○ちゃんのことそんなん言うんやめて。今あの子学校の兎を預かってたのが家で死んで落ち込んでるから」と、言わなくてもいい事実を振りかざし謎の理論で正義を執行してきた。

この時僕の胸の内に広がった罪悪感の、なんと気持ちの悪かったことか。僕がヤツの不幸を願ったがために、ヤツに不幸が起こったのかと、本気で思った。僕が同じ立場だったら、もう立ち直ることなど不可能だと思った。同時に、本当に車が突っ込んでヤツが死ななくてよかったとも思った。

結局その子はあっという間に元の嫌な女子に返り咲くのだけど、そんなことよりも、身の回りで起こる何もかもが自分のせいだと感じる思考回路が、昔から今まで変わらずに僕の中にあることの方が重要である。誰かが怒っていることも、落ち込んでいることも、悲しんでいることも、全て僕が原因のような気がする。そんなわけないと理屈では分かってるのに、どうにもやめられない。

ああ、そうか、具体的なイベントではなく、もうちょっとバクッと過去を振り返ってみると、何かが見えてくるかもしれない。明日はそういうことをやってみようかしら。

兎の画像


 
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