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事件は会議室でも現場でも起こっていない
ライフブログを書きながら小学校の頃までの自分と向き合ってきたけれど、ここまで並べてきたファクトをまとめて振り返ってみる。
今の時点でいちばん大きな発見は、「今の自分を作ったのは、実は親の教育ではなかった」ということだ。
初めの頃の記事で、悪いことをして両親に家の外に放り出された時に、世界が終わってしまうのではないかという恐怖が心に根付いた、という話をした。それをきっかけに、人から嫌われないように顔色を伺いながら、自分の意見を無視するクセがついたとも書いた。それは、僕という人格の形成に、ある程度の影響を与えた経験だと、今でもそう思う。
しかし、仮に当時の僕と同い年の少年たちを同じ条件で家の外に放り出してみたら、そのまま夜の町に駆け出すような子もいるだろう。よその家にずうずうしく上がり込んだり、あるいは何も感じずに玄関が開くまで大人しく待つことができる子もいるに違いない。逆に、さらに大きな不安で体調を崩したり、より大きなトラウマを負う子もいただろうと思う。
子供は無色であっても、無形ではない。パレットの上に様々な色を重ねることはできても、パレットの形や材質を変えることはできない。人が人の本質を変えることなど、絶対にできないのだ。
つまり、僕は自分の人格や性格を両親に作られた(=生まれたままの状態から捻じ曲げられてきた)とどこかで思っていたけれど、そんなことは決してなかった。僕は生まれてこのかた一度も、変わったことなどないのだ。両親は加害者ではなかった。僕は被害者ではなかった。誰も悪くなかったのだ。
あの時、ねずみ色の玄関ドアの外で感じた恐怖と絶望は、”何らかの理由”で僕がその出来事を勝手に「恐怖と絶望」という形に解釈して、勝手に「人に嫌われると大変なことになる」という教訓を作り上げ、勝手にそれを自分に突き刺した。それだけの、コントのようなことだった。
だから僕は心を閉じた
では、”何らかの理由”とは何か。
最近の記事で、僕は小学校に入ってから「閉じた」のだと表現した。もしかして僕は、一度自分を閉じてみたかったのではないか。
どうして一度「閉じた」かったのか。自分を「閉じる」ことのメリットとは何か。それは、「開く」ことを経験できることではないか。病気にならなければ健康の有り難みが分からないように、僕は一度「閉じ」て、また「開く」ことで、「開いている」ことの有り難みを経験したいのではないか。
だとしたら、もうこの先の人生、有り難みを感じることしか起こらないということになってしまう。えらいこっちゃ。ぐひひ。
人は、自分がやりたいことしかしないのじゃよ。
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