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P.82:強制終了は突然に(2018/11/15)
俺はクレーム生産マン
2年くらいケータイ屋で働いた。ひとつのお店に常駐するのではなく、千葉県各地のお店を飛び回って営業と販売を同時に行うという仕事だった。その間、僕はいつも店の人たちが怖かった。みんな僕のことが嫌いなのではないか。また非難されて、クレームを入れられて、上司にがっかりされたりするのではないか。そんなことばかり考えていた。
そんなことばっかり考えていたら、本当にそんなことがおこるようになってきた。特に退職の半年前くらいはひどいもので、今になっても僕が行ってクレームにならなかったところはなかったのではないかと思ってしまうほどだ。
応援したい店
そんな中でも、とても好意的に僕を受け入れてくれたお店がいくつかあった。お店の風土なのか何なのか、千葉にあるWGというチェーンで働いていた皆さまは、その傾向が強かったように思う。
彼らに共通していたのは、とにかく僕をリスペクトしてくれたことだった。日々の販売台数がモノを言う営業の世界で、何度接客に行っても売れない日でも「めげない姿勢を見てたら私も頑張ろうって思えます」なんて言ってくれるのだ。その日の売り上げはダメダメでも、やはりそんなことを言ってくれる人たちがいるお店を、心から応援したいと思った。最終的に僕が一番台数を売ったのは、やはりWGだったと思う。
それでは届かない
ある日auのスタッフが急遽不足したために僕が穴埋めで入ったお店は、いわゆる不機嫌な人々のお店だった。お客と話している方が楽だったので、ドコモを使っているおばちゃんとじっくり話し込んだら、その日の夕方に家族を全員連れてauに引っ越してくれた。そのタイミングで、お店の人たちの態度も急変した。
後日、お店に僕が研修を担当した新しいスタッフが入ったので様子を見に行ったら、そのスタッフが「山本さんが家族全員auに引っ越しさせた話し、お店で伝説になってますよ」と教えてくれた。もちろん嬉しかったのだけど、ちょっと釈然としない気持ちも残ったのだった。
壮大なワークショップでした
当時はもう繰り返しちゃって申し訳ないけど、毎日本当に辛かった。そんな状態でも、僕を大切にしてくれる人、そうでない人の違いを、よく見ることができた。そして、僕のことを大切にしてくれていた人たちに、僕は主体性を持って貢献しようというパッションを抱いたのだ。
その人が担った役割や実力、持ってきてくれた利益、、、そういったものを評価するのはもちろんだけど、それよりも何よりも、僕自身を尊重してくれた人たちを、僕は尊重したくなった。それはもう、当たり前に自然な気持ちの動きだった。
自分を大切にしてくれる人を、人は大切にしてしまうのだとしたら。身の周りの人を大切にすることは、そのまま自分自身を大切にすることになるということを、数年かけて学んだワークショップであったように思う。
、、、なんて素敵な発見を当時はできなくって、結局積み上がったクレームの山に押し潰されるように僕はケータイ屋を辞めた。少し貯金もあったので、しばらくは働きもせず、散歩したりギターを弾いたりして過ごす日々に突入したのだった。
なお、当時の体重は人生でピークの88キロ。かなりキてました。
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