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上下関係の上下の基準は、「強そうか、そうでないか」
自分よりも他人の意見を重視しながら生きるというのは、上下関係の世界に生きるということだ。当然、小学校入学の時点で自分よりも立場が上の人の意見は絶対だと思っていた僕は、それはもうビシッと上下関係の世界の中で生きていたのだった。
上がいるなら、当然下もいる。僕は自分よりも上の人の意見を大切にしないといけない教の狂信者だったから、至極自然な発想として、僕よりも下のやつは、僕の意見を大切にするべきだと思っていた。
となると、上か下か、それが問題である。上下の関係は、年齢のような単純な基準で判断されるわけではない。とはいえ、第三者機関による厳正なる審査があるわけでもない。僕が相手との関係性の中で、その人が僕よりも「強そう」と感じれば上、「弱そう」と感じれば下。決めるのは当然、僕の独断的直観である。
破綻の第一歩
ある時、少年野球の練習中に雨が降ってきて、僕たちは屋根のあるところで雨宿りをしていた。雨はじきに止んだのでダラダラと練習を再開する段取りをしていたら、クラスメイトのきょうへいくんが、偶然遊びに来ていた2人の先輩と一緒にライト側へ走っていって、いち早くフライキャッチからのバックホームの練習を始めた。
僕が他の友だちと何も考えずにぼんやりしていたら、ノックを打っていた監督が他の保護者のおじさんと、
「あいつらすごい勢いで飛んでいったなあ。」
「あそこの三人ははほんまに野球好きやわ。」
なんて会話をしていて、僕はそれを聞いて大いにショックを受けた。監督は「あいつらは野球が好き」と自分の考えを言っただけのはずなのに、僕にはそれが、「あいつらはお前よりも上だ」という宣告のように聞こえたのだ。僕が作り上げていた上下関係の世界で僕より上に行くには、「誰かから認められている」ということが、実に非常に驚くほどに、有効だったのである。
ただでさえ自分の感覚や考えを信用していなかった僕にとって、その中で作り上げたカースト制度とランキングさえも間違いだと宣告されることは、自己信用の破綻への第一歩だった。何を信じていいのか分からなくなり、常にパニックを起こしそうになる直前で、かろうじて周りの人々の言うことを聞いて踏みとどまっているような危うさを、この頃からずっと感じて生きていた。
ゆうさく少年は当時12歳。ほの暗い思春期はまだ始まったばかりだった。
本当に、世界がこんな色で見えてたのよね
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