わが愛しのAm P.46:少年野球始めました(2018/09/13)

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野球がしたい

信号機もないような集落に生まれて育ったのだけど、そんなど田舎にも少年野球のチームはあった。あったのだけど、僕は別に野球に興味がなかったし、いじめっ子も野球をしてるらしかったし、そんなことよりテレビゲームで遊びたくってしょうがなかったから、まあどうでもよかったわけですよ。

ところが、小学校の5年生になったあたりからクラスメイト達がどんどん野球チームに入り始めた。僕の学年は男女合わせて13人、うち男子は6人なんて少人数だったから、あっという間に野球をしていない男子は僕だけになってしまった。

そうなると面白くない。僕の家には当時まだゲーム機がなかったから土日は友だちの家で遊ばせてもらうのが恒例だったけど、なにせ僕以外はみんな野球をしてるものだから、遊び相手がいない。すっかりさみしくなってしまって、土日がトコトンつまらなくなってしまって、僕はいよいよ両親に野手チームに入りたい旨を伝えた。

以外なことに父が反対した。理由は今でもよく分からないけれど、だからといって土日のつまらなさを解消する方法は他に思いつかない。ゴネてゴネてゴネにゴネて、ようやくチームに入ることができたのは、最初のお願いから約半年ほど経った時だった。

結局野球家族に

野球はそれなりに面白かった。出れば負ける弱小チームだったけれど、土日に新しい遊びを見つけたような気分だった。監督をしていたクラスメイトのだいちゃんのお父さんや、騒がしいママさん応援団みたいな、普段会えない大人たちと会えることも楽しかった。

僕は運動神経はそれなりによかったから最終的には「五番セカンド」というポジションを得た。またそれを上回る野球センスが認められ、『当たらない長距離打者』『トンネルキング』『暴発する強肩』など、様々な肩書きをも得たものだった。

そのうち弟のちゅわさんやぷうちゃんもチームに入団。相変わらず野球には大した興味がなかったけれど、弟たちにいいところを見せたい一心で、お兄ちゃんは毎回張り切っていた。

僕が中学校に上がって引退した後には、なんと半年間も僕の入団を拒み続けていた父がコーチ・監督に就任。週末には親子でユニフォームを着て出かけるという図が日常の風景になっていた。
 
 
少年野球の風景の画像

本当はピッチャーかキャッチャーをしたかったんだけど、
何せ『暴発する強肩』だったからねえ


 
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