わが愛しのAm P.45:押し入れの中の未来(2018/09/12)

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禁じられた遊び

小学校の5年生の頃だったか。実家の母屋の押入れに何か面白いものが入っていないかとゴソゴソ探検をしてたら、カビ臭い生地のトランクの向こうに、まあるい木の箱のようなものを見つけた。色々なものをひっくり返しながら引っ張り出すと、それは木箱ではなくギターだった。エレキギターでもなく、フォークギターでもないそれは、ヨレヨレのナイロン弦が張られたままの、ペグの堅いクラシックギターなのだった。

見つけたギターを祖父のところに持って行ったら、「ドレミファソラシド」の出し方を教えてくれた。さらに父のところに持って行ったら、隣りから母が来て「教えてやって」と言う。あまり乗り気そうでなかった父は、おお、などと言い、僕の持ってきたギターを構えて軽くチューニングをすると、ポロポロと曲を爪引き始めた。父がギターを弾いていたらしいという話しは聞いたことがあったけれど、実際に音楽をしているところを見るのは、カラオケ以外では初めてだった。僕は大いに驚き、また感激した。だって、カッコよかったのだもの。

僕は鼻息を荒くして父からギターを教わり始めた。初めての楽曲は、一定年齢以上の方ならみんな知っている『禁じられた遊び』である。

余談だけれど、『禁じられた遊び』というのは、元々この楽曲が使用された映画のタイトルである。楽曲本来のタイトルは『愛のロマンス』なのだということも、父から聞いたのだったと思う。

僕だけの僕

僕はすっかりギターに夢中になった。父が楽譜を使わずに、指の動きだけでいきなり音を出させてくれたのが良かった。譜面の読み方など教わっていたら、凄まじいスピードで飽きていたと思う。今でも譜面は全然読めないけれど、何も苦労していないから、その辺も含めて父の指導は完璧であったと、今さら思う。

初めは弦一本だけでメロディを弾くだけだったのに、飽きずに半年近くペンペンやっていた。出す音を間違えるとキッチンで母がずっこける(死語)のも、なんだか楽しかった。

何より、クラスの誰もやっていないことをやっている、ということが気持ちよかった。何度も繰り返して恐縮だけれど、当時の僕は万事において自分の意見よりも他人の意見が正しいと思っていたから、「自分だけの何か」があることが、すごく嬉しかった。ギターが弾ける僕は、他の人とは違う、特別な人間になれたような気がしたのだった。

クラシックギターの画像

この頃はまだお歌は歌っていなかったのよ。


 
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