意図は分かるし、大切なことだということも理解できるのに、腑に落ちない。自分と向き合うことを続けていると、そんな言葉とよく出会う。
身も蓋もないことを言うけれど、人類史はもう何千年も続いていて、僕たちが抱えている悩みは既にどこかの誰かが解決している。しかもその答えを、本や口伝の形で解答法と合わせて残してくれたりもしている。
その答えと出会っていないから僕たちは今日も悩んでいるのかというと、それもあるかもしれないけれど、そうでもないかもしれない。あなたか自分と向き合うことに興味のある人なら、既にたくさんの言葉たちと出会っているはずだからだ。
ならどうして悩みが晴れないのか。ひとつ目の可能性は、インプットの量がたりないことだ。例えば同じ本でも、1回読むのと7回読むのでは、読後の気付きが大きく異なる。何度も読むことで、多角的かつ様々な高低差をもって、著者の言葉と向き合えるのだ。
もうひとつの可能性が今回の主題である。即ち、「自分の言葉に翻訳できていない」ということだ。不思議なのだけど、同じ意味の言葉も表現の文脈が変わるだけで自分への響き方がまるで違うものだ。
出会った言葉が自分にガンガン響く言葉だったなら、それは大変なラッキーだ。生まれも育ちも違う人他人の言葉が心に響くだなんて、そうそうな奇跡である。そう、ミラコゥ。
自分に響く誰かの言葉を探し求めるのも悪くはない。その道中で素敵な言葉たちとの出会いがあくさんある。
けれどもし言葉探しに疲れてしまったなら、ぜひやってみてほしい作業がある。既に知っている大切そうな言葉を、自分に響く言葉に自分で書き直してみるのだ。
そうそう、今回のワークは言葉や文章で自分の内的な世界を表現することが好き・得意な人向けだ。そういった言語化作業がとにかく苦手というヴィジュアルコミュニケーション特化の人も多いから、取り組んでいてあまりにストレスが大きいと感じたらすぐ止めるよくに。おじさんとの約束だ。
なんか大切そうな言葉を自分のための魔法の呪文に書き換えるワーク
ステップ①自分のものにしたい言葉に「例えば」を付けて続きを書く
大切な気がするけど自分の言葉ではない言葉。そんな言葉をひとつ選んでほしい。名言格言何でもいい。
選んだなら、その言葉をノートの一行目に実際に書いてみる。そしてその言葉の下の行に「例えば」と付け足して、続きを書いていこう。
ポイントは、あなたの経験したことや身の回りのヒト・モノの固有名詞を使って書くことだ。抽象度が高すぎると形而上の概念遊びになってしまうから(それも楽しいんだけどさ)、今回のところは実際にあるモノやヒト、起こった出来事レベルで書こう。
文量はどれほど膨大になっても構わない。もしかしたら堰を切ったように言葉が溢れて止まらなくなることもあるかもしれない。それで構わない。ただの単語の羅列になってもいい。この後で整理をするから、今はとにかく全て書き出してしまうことに集中する。
ステップ②書き出した文章や言葉を3回書き直す
「例えば」以下の書き出しが一通り終わったら、それを改めてひとつの文章にリメイクする。
既にある程度スマートに収まっている人も、ゴチャゴチャの言葉が書き殴られている状態の人もいるだろう。いずれにしても、3回は書き直してみてほしい。
もちろん同じ文字列を書き直すのではない。不要な言葉を削ぎ、順番を入れ替え、文章としての純度と精度を高めていくのだ。クオリティは問題ではない。そのような意識を持って3回書き直すことが大切だ。レッツゴゥ。
ステップ③書き直した文章の後に「要するに」を付け加えて、続きを書く
先ほど「例えば」を付けて具体的なレベルの文章を書き始めてもらった。今度は逆のことをする。あなたが書いた文章の次の行に「要するに」と書き足すのだ。
さて、このタイミングで改めて、事の発端となった「自分のものにしたい言葉」を眺めてみよう。そうした時、その言葉があなたの今の気分を全て代弁してくれているように感じられるだろうか。もしそうだとしたら、このワークは終了だ。しかし少しでも物足りなさを感じたなら、ぜひもう一歩踏み込んでみよう。
先ほど書いた「要するに」の後に、あなたの言葉でまとめの文章を書き直すのだ。「要するち」がピンとこなければ、「つまり」でも「簡単に言うと」でも「サマリー」でも何でもいい。先ほどの文章の中で使われた具体的なレベルの事例は使わずに、言いたいことを短くまとめてみよう。
この作業は「例えば」文章を書くよりも難しいはずだ。なぜか。あなたの内的な世界を表現する作業だからだ。この世のどこにもないあなただけの世界に、あなたの言葉で形を与える作業だからだ。
苦しいかもしれないが、言語表現の醍醐味でもある。何度でも書き直して納得のいく文章に仕立ててほしい。一度完成したと思っても、たまに見返して書き直すとまた違った言葉になる。あなたの成長に合わせて、言葉もまた成長するのだ。
借り物の言葉を自分の言葉に変えていく
借りた言葉で生きている人と、自分の言葉で生きている人は、ちょっと話せばすぐに分かる。自分の言葉で生きている人は、重心が低く考えが深い。とても素敵だと感じる。
借り物の言葉は悪くない。そもそも言葉は借り物としてインプットされるものだしね。つまらないのは、借り物の言葉を借り物のままにして生きることだ。そのつまらなさを、きっとあなたは知っているのだ。ぜひ今回シェアしたワークを役立ててほしい。
とはいえ、このワークを使えば全ての言葉があなたのものになるかというと、それはたぶん難しい。人の成長にはタイミングというものがある。人としての成熟が足りないことで理解できない言葉の多さを知るにつけ、ほとほと嫌になる。
それでも、自分と向き合い続けることをやめない。あなたも僕も、それが楽しいことを知っているからだ。自分のメッキを剥いでいく作業は、どんなゲームやアミューズメントパークよりもエキサイティングな最高のレジャーだ。ぜひ今回のワークにも、遊び半分で取り組んでみてもらいたい。