ビビビッときた一行。
「自分の考えが正しいと
固執する気持ちを『我』という」。
我はもちろんあっていいんだけども
僕の場合、強すぎる我は「正しさ」のフリを
しながら登場するのですよ。
自分で言うのも何だけど、
口が立つのよねw、僕。
で、勉強好きだから引用元が割と多かったり
物事を語る視点も割と切り替えられるから
正しさ合戦に持ち込んで
相手を言いくるめたり
できちゃったのですよ。
それをしてる間は
「僕が正しいことを教えてあげなきゃ」
くらいの気分でいたんだけど
なんだかねえ
周りとどんどん溝ができていくんですよw
改めて、どういう気分でそんなことを
してたのかなぁって思い出してみると
・それしかやり方を知らないこと
・普段から自分を説得していること
・昔自分が言いくるめられたこと
・今までの自分の経験や、所属しているコミュニティの常識から外れたこと
に関して話題が及ぶと
なんだか必死に我を通そうと
しちゃったのよな。
もちろん、今でもそういう気持ちは
頭のどこか片隅から沸いてくるのだけど。
で、今の時点ではね
「我」を抜くっていうのは
自分の正しさを捨てるということではなくて
自分の正しさと相手の正しさを戦わせない
っていうことだと理解していて。
自分の正しさって、あるんだよね。
どんな目的を持って、どんな言動を取るのか
その基準になるもの。
嬉しかったこととか
悲しかったこととか
楽しかったこととか
怖かったこととか
色んな経験の集大成として
自分なりの「正しさ」を掲げてるのよね。
で、そういうものを
目の前の相手も持ってるのよ。
経験してきたことが違うから
当然中身も違うんだけど
今の自分がこれまでの人生の集大成なら
目の前の相手も集大成でさ。
だから目の前の人と
「正しさ」がぶつかりそうになったら
相手の正しさを認めてあげればよくってさ。
で、その場が終わったら
自分の「正しさ」を
またやってればよくって。
他人の「正しさ」を折らない。
自分の「正しさ」も曲げない。
「正しさ」がぶつかりそうになったら
「それは正しいですね」とか言って
するりとかわす。
手に負える場面から
「我」を抜く練習
ちょっとずつやっていこう。