日刊犬と暮らす。

もう一部の身近な仲間たちは知っているのだけど、8月の末に引っ越しをして大阪のマンションで彼女様と一緒に暮らし始めている。
付き合い出してからぼちぼち10年になろうかというわれわれであるから、いわゆるひとつの年貢の納め時というやつだ。
年貢ならもう払いすぎるほど払っている気がするが、お上、もとい女将の搾取はまだまだこれかららしい。

彼女様と暮らし始めて最も大きく変化したのは、大河と半蔵という2頭のチワワが同居人になったことだ。
彼女様は僕が千葉にいた頃から定期的に顔を出して長い時は1週間ほどを掛けて関東の友達と遊んだりコミケ的なものに繰り出す拠点とされていたりしたから、同じ部屋にいることにそれほどフレッシュな感覚はない。
そんなことより、唐突に始まった2頭のチワワ達との『日刊犬と暮らす』が、それはそれは新鮮である。

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まず、彼らは僕の帰宅を大喜びして飛び跳ねる。
すひすひとかはふはふとかがじがじとか、色んな音を立てながら歓迎の舞を披露してくれるのだ。
おおそーかそーかそんなに嬉しいのか可愛いヤツらよのうなどと浮かれつつ広いリビングに乗り込むと、フローリングの真ん中にテロ的に投下されたウンティーヌが「あんだよ文句あんのかよ」といった顔で鎮座しているから油断ならないが、まあそういった地雷を踏みさえしなければ、彼らとの生活は実に心地よい。

彼らとの生活で最も大きな恩恵は、例えば大河を撫でている時は、他の余計なことを考えなくてもいいことだ。
僕はついうっかりしているとすぐさまにも嫌なことや不安になることを考えてウジウジしてしまうのだけど、あの白く小さな生き物を撫でていると、手のひらや指先にふれる毛の感触や肌の温もり、彼の体をめぐる命の躍動で、頭の中がいっぱいになる。
そこに隣りのソファーの脇あたりで陰干しされていた半蔵が

「我も愛でよ」

とでも言いたげにででーんと飛び出してきたりしたなら、んもう1時間でも2時間でもあっちゅうまに過ぎ去ってしまうんである。
余計なことを考えて疲れたり、明日に怯えて暮らすくらいなら、鼻水垂らして能天気に笑いながらチワワの抜け毛にまみれたり、モモンガの世話をしている方がよっぽど健全である。
ただでさえこの世で一番の脅威が同じ部屋の中にいるのだ。
それくらいの逃げ道はあっても許されるはずなのだ。

あとこれは嬉しい誤算なのだけれど、掃除のやり甲斐が違う。
人間2人とチワワが2頭(モモンガも1匹いる)がいると、もの凄い勢いで床にホコリや毛がたまる。
これを掃除機やクイックルワイパー的なものでざしゅーっとさらうのが、実に気持ちいい。
常にキラキラぴかぴかの我が家、とは中々いかないが、大量の抜け毛をシートもろともゴミ箱に放り込む瞬間は、中々の快感である。

気をつけなければならないのは、そういった細かな汚れがたまりやすいため、少しでも掃除が滞るとたちまち部屋の中がホコリっぽくなってしまうことだ。
ホコリが溜まると彼女様が喉から「グゥグゥ」と訳のわからない音を出すから、それがひとつの指標である。
彼女様は僕のことを掃除する巨大なインテリアくらいにしか思っていないから、仕事をしないとただの巨大なインテリアとして処分される恐れがある。
ここでもやはり油断ならない。

今日は掃除しない日4日目だ。
日中に風呂桶の下の黒カビ汚染地域を高圧洗浄機で浄化したから随分と気分がいいが、室内のホコリはぼちぼち許容量を超える。
明日朝起きたらクイックルワイパーでホコリをさらおう。
年貢とはこれほどコンスタントに納めるものなのだろうかといった疑問が出てきたら、大河か半蔵を捕まえて撫でればいい。
解決できない悩みは、抱かないに限る。