自信のある生き方をしたくなったら

自信がない人っています。
「自分の意見やアイデアには
 価値がない」
ということを信じている人です。

僕がそうだったんだけど。


そういう人に
「自信を持て」
なんて言うのは、
実はすっかり
的外れなのです。

なんでかって、
「自分の意見やアイデアには
 価値がない」
ということを信じたまま、

「自分を信じる」ことは
できないからなのね。
 
 
自信がない人は
「自分の意見やアイデアには
 価値がない」
ということを信じていて

自信がある人は
「自分の意見やアイデアには
 価値がある」
ということを信じている。

それって
「信仰」なんですよ。

それぞれの信仰。

信仰は、そう簡単には
変わらないんです。

「自分の意見やアイデアには
 価値がない」
という信仰だって

色々な歴史と根拠があって
その人なりの理由があって
今信じちゃってるんだもの。
 
 
でも世の中には、
根拠もなく自信を持てている
人がいます。

「自分の意見やアイデアには
 価値がある」
ということを信じている人は
とても幸せそうに見えます。

どうしたら
自信を持つことが
できるんだろう?

どうしたら
「自分の意見やアイデアには
 価値がある」
ということを
信じられるんだろう?
 
 
やり方は色々あるけれど
僕がやってみて
効果があるな
と感じているのは

『「私がやります!」と腹をくくる』

ことです。
 
 
あのね
耳が痛いと思うけど

「自分の意見やアイデアには
 価値がない」
と信じている人は

十中八九
「他人の意見やアイデア」に
生かしてもらってきているので、
何事に対しても
当事者意識が薄いのよね。

というか
責任を引き受けることが
死ぬほど怖いから

責任を回避するためなら
何でもする(笑)

僕もそうだったもの。

これはあの人に言われたから
これはその人の指示だからって

責任の所在が
明らかじゃないことからは
トコトン逃げてました。

でもさ、責任って
どうやったって
回避できない(笑)
全ッ部ヒットするのね(笑)

「自分のせいじゃない」
って思ってるから

何を言われても
「だってさぁ。。。」
って、ウジウジして。

責任は全部ヒットするのに
その責任を受け止める
HPがゼロだから
一発で瀕死になるのね(笑)
 
 
だからつまり、
自信を持って生きるには
死ぬほど怖いけど

「私がやる」
「私が責任を取る」

という
覚悟を決めるのが
いいんです。
 
 
とはいえ、
覚悟なんて実は
大したことなくって。

さっきも言ったけど
そもそも自分以外の人が
自分の責任を取ることなんか、
できないのよね。

今までだって
そうだったでしょ?

誰かがあなたの人生の責任を
取ってくれたことなんか
なかったでしょ?

自覚がなかっただけで
僕らはずっと
自分の人生の責任を
取り続けていたのですよ。
 
 
ところが
当事者意識が薄いまま
長年生きていると、

責任を回避すること
ばっかり考えながら
暮らしていると

「あの人もあの人も
 私に酷いことをして
 責任を取って
 くれなかった」

という恨みが
つのっていきます。

恨みはそのうち
化膿して
ぐじゅぐじゅになって

「私を裏切った社会」や
「私を裏切った家族」、
そして
「誰に対しても」、

復讐心を
向けるようになるのね。
 
 
ほんで
復讐の手法は大体一緒で
それは
「不幸になること」
だったりして。

お前のせいで私はこんなに
不幸になったぞ!
という事実を
周囲の人々に
見せつけ続けることで、
世界への復讐を
成功させようとするのです。

それは、
世界の全てに
背中を向けられて
敗北感と恨み節を
噛みしめるような、
孤独で苦しい毎日です。
 
 
そんな日々を
終わらせたいと願うなら

自分の人生の責任は
自分で取るしかないのだと
気付くしかないのです。

僕もそうでした。

自信がないまま
自分の足で立って、

自信がないまま
自分の頭で考えて、

自信がないまま
怯えすくみながら、

それでも自分の意思で
モノゴトを
選択し続けること以外に、

孤独な日々を
終わらせる方法は
なかったと思います。
 
 
孤独な日々を
抜け出したいと願うなら、

自信を持ちたいと
願うなら

暮らしの中で何かひとつ

「自分の意思で考えて
 自分で決めている
 自分が責任をとること」を

持つことをお勧めします。

簡単なことでいいんです。

夕飯の献立でも
ブログを書くことでも
掃除をすることでも
何でもおっけい。

どんなに小さくても
どんなに影響力が小さくても
どんなに無意味に思えても

自分でパドルを握るのです。
自分のパドルを握るのです。
自分がパドルを回すのです。

そうやって
「私が決めている」ことを
少しずつ
増やしていくのです。

そうやって
勇気を振り絞りながら
生きているとそのうち

「他人に主導権を
 委ねていたこと」と、

「自分が主導権を
 持っていること」の

違いが分かるように
なってきます。

そこで初めて、
どれほど多くのことを
自分で決めてきて
いなかったかということに、
僕らは気付くのです。
 
 
『私がやります!』という
覚悟を決める。

勇気をふり絞って
覚悟に添って生きる。

そういう生き方を
「自信がある」
と呼ぶのだと
僕は思います。

そして何がありがたいって
今想像すると
恐怖でしかない
そういう生き方にも
人はそのうち
慣れるんすよ。

これマジだから。
マジで慣れるから。
最初は死ぬほど怖いけど
やってみて。

その責任
僕はとれないけど(笑)
 
 

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