「人生を効率化する」って言われたら、なぜかすっごく嫌な感じがするんだけど

どうにも自分が「効率化」という言葉に対して良くない印象を持っている気がするのです。タイトルにもある通り、「人生を効率化する」なんてコピーを読んだら、全力で抵抗をしようとする自分がいます。嫌悪感すら抱きます。衝動的に「僕は僕の人生を自由に生きるんだよ!」と叫びたくなります。

ところが、僕は様々なタスクを素早く処理して自由な時間を増やしていくために、GTDの考え方を取り入れ、仕事の進め方を吟味し、それらを管理するために有料無料問わず様々な時間管理・タスク管理のツールを導入しています。そう、「効率化」に対して嫌悪感を抱きながら、それを推進もしているのです。いっそ微笑ましいほどの矛盾です。

この問題に対して、あなたは既に何らかの答えをお持ちかもしれません。しかし今はそれを指南したい気持ちをぐっとこらえて、改めて僕と一緒に考えてみてほしいのです。特に、もしあなたが僕と同じように「効率化」に対して衝動的な嫌悪感を持つ仲間であるなら、これは意味のある考察になるかもしれません。

タイムマネジメントのイメージ画像

新しい扉をノックする

「効率化」という言葉に嫌悪感を抱きながら時間やタスクの管理を推進するというのは、車のアクセルとブレーキを同時に踏むようなものです。そしてそういう時はたいてい、ブレーキの方が勝るものです。つまり、人生の効率化を否定する僕が勝利を収めるし、収め続けているということです。

僕は幸せに生きていきたいと願っています。あなたとこうして考察を交わしている今日、今この瞬間にも幸せですが、さらなる幸せの高みへと昇り詰めたいと心から願っています。しかし、昨日と同じ自分のまま、今日、昨日よりも幸せになることは不可能です。

だから僕は、ブレーキを踏んでいる自分と向き合うことにしました。なぜかというと、僕はまだ効率化された人生を知らないからです。新たな人生の扉とは、今までノックをしたことのない扉のことです。そう、僕はこれから「人生を効率化させる」という扉をノックするのです。

自分の言い分を聞く

厳密に言えば、一昨年や去年と比べると、明らかに僕の人生は効率化されています。しかし、それはどちらかというとスペックアップ的な面が大きいのです。僕が望んでいるのは、バージョンアップです。これまでとは異なる、全く新しい価値観と、それに基づいたライフスタイルを手に入れたいのです。

とはいえ、僕は現時点で人生の効率化に失敗し続けています。いえ、ブレーキを踏んでいるのも僕ですから、「人生を効率化させないことに成功し続けている」と表現した方が正しいかもしれません。

だから僕は、「効率化」に対して嫌悪感を抱いている自分の言い分を聞かなければなりません。彼と僕はまさしく一心同体です。彼のことを置いて、僕だけが新しい人生を生きることはできません。

「効率化」は人を人とも思わない、冷徹で融通の効かないシステム

やることは簡単です。お遊びのようなものです。問いかけを作って、それに答えるだけです。注意を払わなければならないのは、問いかける時に、「効率化」に否定的な自分を否定しないことです。そして問いかけに答える時には、「効率化」に否定的な自分として答えることです。

僕は自分に問いかけてみました。内容はこうです。「効率化という言葉を聞いて、どんなイメージを持つの?」その返事を、思い浮かぶまま、吟味しないまま、書き出します。この記事の下書きはTwitterで書きましたから、青い鳥のタイムラインに、おりゃあおりゃあと殴り書きます。(フリック入力では今ひとつ殴っている感が薄くて物足りませんが、贅沢な不満ですね)。
 
 
・血が通っていない
・人を人とも思わない
・気持ちを尊重してもらえない
・機械的、システマチック
・冷徹
・堅い
・融通がきかない
・面倒くさい
・飽きる

 
 
驚きました。本当になんの準備もなく手を付けたのですが、ここまで自分からネガティブなイメージが出てくるとは思ってもみませんでした。いつまで経ってもわが人生の効率化が成らないことも、当然のように思えます。どうしてこれほどまでにネガティブなイメージが僕の中に渦巻いていたのでしょうか。実はこれらの言葉を書き出している時、僕の脳内では、工事現場の作業員として働いていた時のことが思い出されていました。

限られた期間の中で求められる品質をクリアするには、現場の管理者は多くの作業員一人ひとりを効率的に使わなければなりません。しかし、全ての管理者が上手く作業員たちを使いこなせるかというと、やはり、そうではないのです。中には人格を否定するような言葉を使って、言うことを聞かない作業員を罵るような管理者もいたのです。

僕の思いは、こうでした。『誰かが物事に対して効率的であることを望む時、そして僕がそれに関わる時、僕は僕の価値観や感性を発揮してはいけない。なぜなら、それは僕が否定され、傷付けられるされることに繋がってしまうから。僕は、傷付きたくないから。』

彼はただ、僕を守ろうとしてくれていただけでした。人によっては、これを「逃げ」や「根性無し」と評するかもしれません。しかし、僕は彼に心からの感謝を捧げます。どれだけ未熟でも、手法がお粗末でも、彼が僕を守ろうとしたのは、「幸せに生きたいから」なのですから。今日まで、本当にありがとう。

素敵な管理者として、優秀な作業員の僕と次の現場に

・・・大きくうねる感情の波が落ち着いてきました。人生を効率化させたい自分と、人生を効率化させたくない自分の目的は、どちらも「幸せに生きること」でした。同じ一人の人間の中で、同じ目的の達成に向けて、全く逆のアプローチが取られることがあるというのは、大変興味深い発見です。

では、今度は人生を効率化させたい自分の言い分を聞いてみましょう。同じように、フラットな気持ちで、このように問いかけてみます。「効率化と聞いて、どんなイメージを持つの?」
 
 
・好きなことに使える時間が増える
・家族や友達と過ごせる時間が増える
・自分のことを探求できる時間が増える
・楽して儲けられる
・年収が上がる
・たくさん遊べる

 
 
先ほどと比べると、いい感じにゲスいフレーズが並びました。緊張感のない、神妙さのカケラもない、享楽的で浅いフレーズたちです。でも何だろう、ちょっと嬉しい。

これらのフレーズを書き出しながら、なんとなく分かってきました。「効率化」という言葉に対して否定的な意見を持っていた僕から出てきたフレーズは、何かをやらされる側の、、、受動的な「労働者の視点」のものばかりです。

一方でポジティブなイメージのフレーズは、仕事を回したり、生活を楽しもうといった、能動的で前のめりなものばかりです。さっきの言葉と対比的に言うなら、「経営者の視点」でしょうか。

つまり僕は「効率化」という言葉に対して「労働者」として強く反発しつつも、「経営者」としては激しく憧れの念を抱いている、ということになります。「人生を効率化する」なんて言われるとザワザワしていたのは、「労働者」の自分が「そんなものは許さん!」と僕を守るためにボイコットをしていたからでした。

ならば、話しはシンプルなはずです。「経営者」も「労働者」も幸せになりたいのです。社訓は行き届いています。大切なのは、両者の合意を形成しながら、バラバラだったアプローチをひとつにまとめることです。スティーブ・ジョブズが経営難に陥ったApple社の建て直しで社長に再任した際、主要事業のみを残して他の事業を切り捨てたように、僕もまた、自分の幸せに繋がる行動にエネルギーを集中させるのです。

ここで嬉しい誤算がありました。ここまで深く自己対話を重ねてきた結果、人生の効率化に否定的だった「労働者」の自分が、強固な姿勢を崩してくれているのです。双方が双方の言い分をきき、理解を深め、お互いが同じ「幸せに生きる」という目的を持ちつつまったく逆のアプローチを取っていたことに気付き、はにかみながら、苦笑いをしながら、「じゃあどうしていきましょうか」と。今こそ僕たちは一人の人間として、新しい人生の扉を叩くのです。「素敵な管理者」と「優秀な作業員」として、次の現場に行く準備が整ったのです。

幸せのタスクを作り、取り組む

自分の中の「経営者」と「労働者」の同意が得られました。後は日々のタスクに対して、どうすればそれが効率的にクリアしていけるか検討し、トライアンドエラーを繰り返すだけです。

しかし、ここでもう一つ僕は自分に問わなければなりません。その問いとは、「何をすれば僕は幸せを感じられるの?」です。これを明確にしておかなければ、今日のスケジュールにどのようなタスクをオンするのか、その方針が定まりません。

この方針が定まらないままでは、放っておいても目の前にやってくるタスク、、、例えば、仕事や家族のトラブル処理といったタスクをを効率的にクリアできるようになっても、それによって空いた時間に別の「他人のタスク」を無意識的に差し込んでしまうだけです。それが僕の「幸せに生きる」なら別に構わないのですが、どうやら、そうではありません。

僕にとって「幸せに生きる」というのは、「健康な心と体を持ち、人生という枠の中で、“ワクワクする時間”を最大化すること」です。これをより後押ししてくれる考え方のひとつが、「人生の効率化」というわけです。僕は今日から
 
 
①ワクワクしないタスクを徹底的に減らして、徹底的に効率化し
②空いた時間に健康とワクワクに繋がるタスクを効率的に敷き詰める

 
 
この2つだけをやっていけばいいのです。そのために、具体的にどういうことをすればいいのか。記事も長くなってきましたし、それは次回の話題といたしましょう。少し時間をいただくかもしれないので、よかったらあなたも自分と対話をしてみてください。大丈夫、ここまで僕と考察を重ねてきたあなたなら、絶対にできます。ワクワクのタスクを山ほど抱えて、またここでお会いしましょう。