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栄光の受験番号1番
僕が出た高校は、耐えて久しいと書いて「耐久高校」という見るだけで奥歯を食いしばってしまいそうな名前の学校だった。それまで1クラス12.3人の幼馴染しかいない学校で過ごしていた僕は、初めての40人学級に面食らいながらも、自分の世界が広がっていくのを感じてワクワクしたものだった。
その高校に入学した時の話し。
推薦枠での高校入学を目指した僕は、前回のライフブログにも登場した教頭先生と組んず解れつ、面接の練習を重ねた。尊敬する父の出身校であることや、短期留学制度に興味があることなどを、いかに端的にパッションを込めて伝えるか、日々練習を重ねたのだった。
そんなある日、教頭先生がニコニコしながらこんなことを言ってきた。
「高校の受験受付開始前から並んで、受験番号1番取ってきたぞ」
まるでパチンコ屋の出る席をキープしておいてやったと言わんばかりの口ぶりである。中学生の教員である父にそのことを話したら、そんな話しは聞いたことがないと言って笑っていた。
さらば受験番号1番
落ちた。見事に落ちたのだった。実際のところ中学校の成績は悪くはないけどねー程度のものだったから、受かるかどうかは勝ち目薄ではあったのだけど。
なので僕は面接の練習と合わせて一般試験の準備も進めており、推薦枠での落選が確定した時点でそちらにシフト。見事に一般枠での合格を果たしたのだった。
その、受験の合格発表の日。バキバキに緊張した母と、なぜか受かっている気満々の僕は、つまり自分の受験番号を発見したのだけど、当然それは一般枠で取り直した番号であって、教頭先生が朝から並んで取ってくれた「1番」ではないのだ。
だから現場でふと耳をすませると、
「1番ないね…」
「1番の子、落ちたんだね…」
という呟きが聴こえてきた。その会場で当事者以外に唯一事情を知っている母は、緊張が解れたこともあってか、全身を震わせて笑いを堪えていた。
「覚えているかい?失われた受験番号1番。誰よりも早く受験票を取得し、誰よりも早く不合格の通知を受け取った男。それが僕さ」
なんて口上が、耐久高校に入学してから3ヶ月間ほどの間の、僕の鉄板ネタだった。
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