妻に「一緒に子育てをしてる気がしない」と言われたら

お恥ずかしい話しですが、妻に「一緒に子育てをしてる感じがしない」と言われました。かなりびっくりしたんです。僕は僕なりに頑張っているつもりでしたから。

一瞬「何だとぅ」という考えが出てきそうなにりましたが、そうではないと踏みとどまりました。こちらが良かれと思って提供するものと、相手が求めているものがズレているというのは、本当によくあることなのです。そしてそのギャップを埋める努力を怠っていたことは、誰より僕が一番よく分かっていまし。

僕たちはじっくり腰を据えて、妻がどんなサポートを求めているのか、僕がどんなことなら提供できるのかを話し合いました。そこで感じたのは、ライフステージが変わると、自分の生活は部分的にではなく、全体的に見直した方がいいんだなぁ、ということでした。


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夫婦で子育てをするということは、夫婦でライフスタイルを「どう変えるか」について語り合うことだった

関西で産まれた息子を連れて神奈川の自宅に帰ってきてから、僕は彼を風呂に入れたり、妻の授乳のタイミングでミルクを作ったりと、今までのルーチンの合間に子育てのタスクを挿入する形で日々を過ごしていました。

それが的外れだったのです。このアプローチでは息子が産まれる前の、夫婦2人の生活に合わせたライフスタイルを踏襲することになります。

当然、差し込まれた子育てのタスクをクリアするために、頑張ります。しかし、3時間おきの授乳や体調の変化でライフスタイルが丸ごと変化した妻からしてみれば、僕のアプローチではこれまでのライフスタイルの合間で子育てを手伝っているだけように感じられて、それは何か違うのでした。

数時間かけて話し合いまして、色々思っていたことを教えてもらった結果、妻のニーズは「一緒にライフスタイルを変えてほしい」ということでした。

それは、妻が疲れていたら声を掛けるとか、お風呂の掃除や洗い物は僕が担当するとか、息子が泣き始めたらオムツをチェックするとか抱っこをするとか、そういうことではありません。

「何をするか」ではなく「どうするか」を一緒に考えてほしいということだと理解しました。

それはものすごく平たく言ってしまうと、お互いを大切にしたいという気持ちを信じ合った上で、お互いの願いを叶え合うために話し合いの場を持ち、そこで決まったことを可能な限り実行する、ということです。「何をするか」を考えるのは、その後なのです。

深い共感と理解があれば、それだけで暮らしは変わる

話し合いを踏まえて自分の日々のスケジュールを見直した結果、僕の日々のルーチンはほとんど変わりませんでした。強いて言うなら、ぼんやりTwitterを眺めたり、アニメを見たり、ゲームをする時間をなくして、睡眠に充てるようにした、ということくらいです。

話し合いの場を持ち、相手の気持ちに共感して、改めて家族を大切にしたいという気持ちを確かめ合ったら、それで繋がり感が感じられて、ある程度落ち着くものです。その繋がり感が、自分が行動を選ぶ際の方向性を定めてくれます。

僕のライフスタイルはこれまでよりもストイックになりましたが、妻と僕の気分はずっと良くなったので、結果手に楽になったと言えます。そしてさらに、家族が次のステージに進むために必要なことも見えてきたのでした。


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