ずっと奥さんが一緒に居たいと思ってくれる夫でいるために

ゆうさく
ゆうさく
1歳ちょいの息子が孤独のグルメを見てヨダレ垂らしまくってるの、将来有望すぎる。

僕はいい夫ではない。妻にとってのいい夫とは、毎月1,000万円を家に納め、家事全般をそつなくこなし、三日三晩不眠不休で小言や愚痴に笑顔で耳を傾け、一流シェフ並みの料理を毎日三食振るってくれる綾野剛のことをいう。

僕は綾野剛ではない。ずいぶん手前の段階で希望は潰えたように見える。しかし諦めてはいけない。僕は妻と一緒にいたいのだ。その願いを叶えるには、妻に僕と一緒に居たいと思い続けてもらわなければ。

ところが、僕は綾野剛でない以外の点でも、いい夫の条件を全く満たせていない。天然物のいい夫は様々な条件を息をするように、無意識に満たしているのかもしれないが、どうやらそれは僕には難しそうだ。

無意識的にいい夫でいるのが無理なら、意識してそういられるように努めるほかない。妻に一緒にいてもらうために、どんなことができるだろうか。まじめに考えてみた。

家事や育児は家族プロジェクトとして取り組む

今年の一月、息子が無事1歳になった。去年の今頃はまだ寝返りもできない新生児だった彼は、今や奇声を発しながらベビーゲージの中を走り回っている。子どもの成長、マジで光速。

育児は大変だ。しかも家族が生きていくためには、育児以外のこともしなければならない。料理に掃除、洗い物や整理整頓といった、家事のいろいろである。

僕が生まれ育った実家は、家事全般は母や祖母が処理してくれていた。男衆は洗い物もせず、洗濯もせず、掃除もしないのが普通だった。

だから僕もつい気を抜いていると、「何もしない」というオールドプランが発動する。身の回りの世話をしてほしい。その気持ちが心のどこかに、そこそこの質量を持って存在していることを、認めます。

その上で、ネクストプランを採用するのだ。家事も育児も、本来は妻のタスクではなく、家族のタスクだ。だって妻がいなければ、それら全てを自分ひとりでやらなければならないのだから。

例えば、僕は滅多に料理をしないけれど、食事の用意をすることは自分を含めた家族のタスクだと認識している。そのように努力している。家族が生きていくためには、誰かがそれをやらなければならないからだ。

だから妻がそれを率先して処理してくれるのは、普通に奇跡だ。妻が僕や、僕の大事な家族が生きていくために必要な仕事を引き受けてくれているのだ。しかも味や栄養面でのクオリティも高い。毎日毎食がミラクルなんである。

同じように、僕が処理している掃除も家族のタスクだ。僕がやらなければ妻が処理することになるからだ。しかし妻は、ホコリに弱く掃除が苦手という特性を持っている。だから僕が積極的に家の掃除をすると助かる。はずである。

家事の役割分担はあっていい。しかしそれは、家族のタスクのうち、自分が得意なものや、パートナーが苦手なものをピックアップして処理しているに過ぎないことを、覚えておきたい。

僕は家に帰って食事ができていない時、不機嫌になるということが一切ない。料理は妻の仕事ではなく、家族の仕事なんだもの。「いつもありがとう」と感謝こそすれ、不服を申し立てる意味が分からない。

また、料理も、それに伴う栄養価の計算や食材の買い出しも、息子の世話も、家計管理も、全て家族のタスクだ。それを妻が処理してくれているということは、毎日妻に感謝を伝えるチャンスが山のように転がっているとも考えられる。

妻の立場でみれば、ある意味自分が処理することが当たり前の仕事に徹底的に感謝してくれる人と、別れたいと思うだろうか。思わない。オイラそこに全掛けしてます。

お互いのコンディションを守り合う

人間は誰でもコンディションが下がると機嫌が悪くなる。機嫌が悪い時、僕たちは何があっても腹が立つし、何をしても楽しめない。だから、コンディションをいいところでキープし続けることは、毎日の生活を楽しむ上で最も優先順位が高いタスクだ。

ところが、家族のタスクは全て完璧に処理しようとすると、基本的にオーバーワークになる。何なら育児だけでも十分オーバーワークだ。

そもそも妊娠〜出産〜授乳という、僕が肩代わりできないタスクの処理だけで妻のコンディションはボロボロなのだ。男性諸氏は、機会があったら出産分娩の現場に立ち会ってみるといい。奥さんの体、見たことない形になるから。なんであんなことがあったのに平気な顔してられるのか、今でも不思議だもの。

コンディションを守り合うというのはシンプルだ。睡眠時間、食事、運動を、それぞれが十分に確保できるように、見守り合うということだ。「監視」でないことが肝である。

わが家の場合、僕は6〜7時間、妻は7〜8時間の睡眠が確保できるように、生活時間と育児の担当をズラしている。妻は僕が早寝できるように協力してくれているし、僕は妻がゆっくり眠れるように午前中は息子の世話を引き受けている。イチャイチャする時間が少なくてやや物足りないので、その辺はまだ改善の余地ありだ。

食事は妻がかなりいい感じに管理してくれている。僕がやることと言えば、妻の努力を無下にしないように変な買い食いをガマンすることくらいだ。そういえば最近、毎日の献立を考えるのを手伝ってほしいとリクエストをもらった。また夫婦の時間が増えちゃうね。デュフフ。

最後運動については、妻は息子や犬たちの散歩で毎日1〜2時間ほど外を歩き回っていて、えらい。僕はといえば、昨今のコロナ騒動で自宅に篭りっきりで、運動量がすっかり減ってしまった。先日妻から僕の腹が出てきているという話しを淡々と語られて大いに傷付いたから、筋トレとウォーキングがんばります。

お互いのコンディションを守り合うって、だいたいこんな感じ。

奥さんの趣味を大切にする

わが妻はいわゆるオタクで、ゲーマーである。最近は僕が欲しいと言って買ったポケットモンスター剣を先にプレイしており、毎晩忙しそうだ。そういえば夕べ「ポケモンマスターになれた?」と聞いたら、「今は木の実マスターを目指してる」と言っていた。何それ。

そのほか、星のカービィや個人作家さんが描く狐の絵やお菓子づくりやBLなど、健全なものから闇深いものまで、妻の興味関心は実に幅広い。もう少し夫に関心を持ってもいいようなものだが、噂によると旦那に関心を寄せている妻はユニコーンよりも希少性の高いUMAだと聞いたので、きっと今の状態が自然なのだ。

さてさて、僕は星のカービィをプレイして楽しむことはできるが、グッズをコレクションしたい気持ちは一切わいてこない。お菓子づくりも楽しいと思ったことがない。漫画の男性キャラクターをいやらしい目で見ることもできない。

でも妻は目の前で幸せそうにメタナイトのフィギュアを愛でたり、焼いたフィナンシェに「いかん、いかんよこれは」と言いながらクロテットクリームを塗りたくったり、漫画を読みながら突然「デュフッ・・・」と呟くなどする。

そうしたら、「やったなぁ」とか、「そうなん?」とか、「どの辺が好みなの?」とか、そんな風に相槌を打ったり、気持ちと時間に余裕があったら一歩踏み込む質問をしたりすればいい。それだけで、妻の機嫌はどこまでも良くなっていく。

男性の共感能力は非常に低いと聞く。まして僕はアスペルガーだ。誰かの話しを聞いて、その人と同じ感情を抱くことは、未来永劫あり得ない。だから聞くのだ。カービィや、狐や、そのキャラが攻めなのか受けなのかを、ではない。妻が何を喜び、何にときめき、どのように楽しんでいるのか、を聞くのだ。

コンテンツに興味はない。わざわざ意図して関心を寄せようという気にもならない。しかし妻に対しては、意図して関心を寄せるに十分過ぎる価値がある。

知ることは愛することだ。知れば知るほど、僕は妻のことを好きになれる。人生で最も長い時間を一緒に過ごす人のことを好きになる努力は、これ以上ない幸福への投資だと考える。

手を止めて、目を見て、笑顔で相槌を打とう。コンテンツを楽しめなくても、自分の大事な人が喜んでいる、その事実を喜ぼう。何が楽しいのか、どんな風に楽しいのか、たくさん教えてもらおう。

【余談】不安を感じても、奥さんの機嫌を取らない

実は今でも、妻が不機嫌になると不安になる僕がいる。何かやらかしたんじゃないだろうか、怒られるんじゃないだろうか、嫌われるんじゃないだろうかと、身構える。

それでもちょっと勇気を出してやってみているのが、「不安になっても妻の機嫌を取りに行かない」ということだ。そもそも僕に原因がなくても妻が不機嫌になることはたくさんある。僕の中に生まれる不安の大半は的外れなのだ。

妻の中には彼女だけの感情があって、それを表現するために、大きな声を出したり、拗ねたり、八つ当たりをしたり、そういうことが必要なのだ。不安が生まれるたびに、それを邪魔してはいけないと思い直すようにした。

すると、サポートが必要な時は妻が声を掛けてくれるようになってきた。彼女自身の言葉を借りると、「不機嫌になって何かやらせようとしてるかもしれない」ことに気付いたのだ。こうやって一緒に変わっていけるから、夫婦は面白い。

どんなに話しても、話しても、話しても、妻の全てを知ることはできない。たぶん、すごく残念だけど、一生かけても無理だと思う。

だから話し続けようと思う。聴き続けようと思う。孤独がデフォルトのこの世界に生きていて、自分のことを知ろうとし続けてくれる人がいるということは、何物にも変えがたい。僕は妻にとっての、そういう人でありたい。

あとはローソンのもち食感ロールと、トップバリューの薄塩味のポテチの在庫を切らさないこと。思うにこれが、一緒に居たいと思ってもらえる夫の姿ではないだろうか。