冷蔵庫の中の物体X

僕が千葉県から和歌山県の実家に帰ってきた初めのころの話である。ふと開けた冷蔵庫に、大変な存在感を放つものを発見した。

物体X

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物体X2

黒い。

バナナである。そんなことは猿でも分かる。問題は、猿も食わなさそうなそのカラーリングである。少々黒すぎるのではないか。神は、バナナを黄色と薄い緑で作り上げたのではないか。このまま放置しておくと、いずれ皮がペリペリと破れ、中から出てきたバナナの成虫が羽を広げて和歌山の空に飛び立ってゆくのではないか。

一瞬にして様々な憶測が飛び交う。そもそも僕の両親は整理整頓があまり得意ではない。具体的に言うと、片付けという概念を持たない父と、片付けることは出来るけど捨てられない母、というパーソナリティーの化学反応が、圧倒的な量の何かを各所にミチミチに積み上げる、という状況を生み出すのである。このバナナも、その化学反応のもたらした実験結果に間違いあるまい。

僕はこの写真をすぐさま母にLINEで送り、詳しい情報の提供を求めた。

母「食べられるよそれ」

アンビリーバブルここに極まる。食べられるのなら、どうして食べていないのか。むしろ僕が食べられることだってあり得るのではないか。僕がこのバナナ(笑)を食べたというメッセージを送ったら、母の働く病院の休憩室が嘲りの笑いでいっぱいになるのではないか。ともあれ、角度にとっては本当に何かのサナギに見えたりするほどである。これが食品であるなどと、にわかには信じ難い。

母「食べなさいよ」

何も返事をしていないのに母が背中を押してくる。食べられるから食べなさい、という一見当たり前のことを言っているように見えるが、「食べられる」という言葉を「口に含み飲み込むことが出来る」という大きな意味で捉えると、仮にここにあったのがアスベストの塊であったとしても文法的な矛盾は発生しないから、油断ならない。

母「食べた?」

母が同僚のオバちゃん達と固唾を飲んでLINEのトーク板を覗き込んでいる様が目に浮かぶ。悪意と好奇心に満ちた中年女性の圧倒的な図々しさでもって、「どうなんよ食べたんけ!?」「こんなん食べたらアホやで」「うちの子はやる時はやる子やで」などという応酬を繰り広げている声が聞こえてくる。お前ら働け。

ともあれ、黙っている人物に「食べられるよ」→「食べなさいよ」→「食べた?」という語り掛けは、非常によくない。これは所謂、自分自身の希望の押し付けである。食べてほしい、という願望の表現である。それでは、人を食べようという気にはさせられない。まして僕が対峙しているのはこのバナナ(笑)である。皮を剥いたらバナナの幼虫と成虫の間の何かよく分からない方がこちらを見ている、などといったスプラッタとの遭遇の可能性さえある。よほどのレターを書いてくれない限り、僕がこれを口にすることは無いだろう。

数日後、僕が体重計の上で渋い顔をしていると、父が母に何かを言っているのが聞こえてきた。

父「あの腐ったげなバナナ捨てたぞ」

母「あいありがとう」

もう何を信じていいのか分からなかった。