わが愛しのAm P.71:さらば高校時代(2018/11/01)

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爆裂カースト制度

高校の卒業式のことを、やっぱり僕はぜんぜん覚えていない。けれど、口には出さなかったけれど、誰にともなく「せいせいするわ!」というような小物的感想をいだいていたことだけは、なんとなく覚えている。

振り返るに、高校時代の僕は敵意に満ちていた。高校に入った途端になぜか自分よりも下のヤツを意識するようになったものだから、それまでの自分の中にうっすらしかなかったカースト制度的概念が、ムクムクとその存在感を強めてきたのだ。

その結果、僕は無意識にカーストの中で上位を目指すようになった。カーストの中で自分の順位を上げるには、自分よりも下の連中を大勢見つければいい。「あいつはこうだからダメだ」「こいつはこうだから大したことがない」。そんなことを、一生懸命になってやっていた。

一番ダメなやつ

それまでなんとなく弱者として周りの人たちの顔色を伺って生きていた僕にとっては、このカースト制度の導入は大きなパラダイムシフトだった。僕よりも下のやつが増えるということは、僕が顔色を伺わなくてもいいやつが増えるということだったからだ。そしてそれは、過去に僕に顔色を伺わせた人々に対する復讐であったりしたのだった。

僕はやっきになって、人のダメなところ、自分よりも劣っているところを探した。普段親しくしている友人たちにはほとんどそういうことをしなかったと思うのだけど、つかず離れず微妙な距離感の人々が溢れかえっている学校という空間は、人の粗探しをするにはうってつけの場所だった。

僕は粗探しの達人になっていった。声が大きいからダメ。目元が下がっているからダメ。威圧感がありすぎるからダメ。周りを嫌な気分にさせるからダメ。気が回らないからダメ。ダメ。ダメ。ダメ。

そんな他人の粗探しばかりしていたら、一番付き合う時間の長い自分を、やることなすこと全てダメなやつだと思うようになった。ダメなやつばかりの学校を卒業してせいせいしたはずなのに、一番ダメなやつとはお別れができなかった。

さよなら高校生活

余計なことで頭がいっぱいだったのに、僕の周りはいいやつばかりだった。彼らも時折鋭い目をして僕には見えない何かを睨みつけていたから、全く同じとは言わないけれど、僕たちは同じような歪みを自分の中に抱えていたのかもしれない。

そしてそれにお互いがなんとなく気付いていて、「だよな」という暗黙の共感がある。目的を持たず、ムードで集まるコミュニティというのはつまり、無言で分かり合えるような心の周波数帯の近い人々なのかもしれない。

僕はさらに特別で突出した人生を目指して、音楽の学校への進学を決めた。今の学校から進学するのは僕ひとり。孤独に生きるこが酷く魅力的なことに思えた。

恋に振り回され、底高い友情に支えられ、鉄の布のような冷たい復讐心を身にまとい、しかしそのことを自覚できないまま、まさに青春と呼ぶにふさわしい不安定な炎に抱かれた僕の高校生活は、そんなこんなで静かに終わっていったのだった。
 
 
学校の校舎と青空の画像


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