夢や目標がなけれなならないと思っている人が非常に多い。
ところが、夢や目標は、無い方がいい。
下手な夢や目標を抱いてしまうと、生き方が偏ってしまうからだ。
僕の高校時代の友人で「不労所得を得て死ぬまで美女のおっぱいの間で酸欠を起こし続ける」という夢を抱いていた友人は、卒業と同時に音信不通になっている。
彼の夢が叶ったかどうかは分からないが、少なくとも酸欠は起こしている可能性が高い。
ところで、夢や目標というのは実は「便利な道具」でしかない。
心震え、魂が燃え上がり、腹の底から気力を生み出してくれる実に「便利な道具」である。
つまり、心震え、魂が燃え上がり、腹の底から気力を生み出してくれる他のものがあれば、夢や目標なんてものはひとつも要らないんである。
ところが、「夢や目標がない」ということで、僕たちはすっかり捻くれてしまう。
テレビや漫画では夢や目標を持った成功者や主人公が、実に壮大でドラマティックな人生を歩んでいるからだ。
まるで夢や目標があることが、人生を素晴らしく生きるための唯一の手段であるかのように語られている。
しかし実際のところ、大人になっても夢や目標が無い人が大多数だ。
おかしいではないか。
夢や目標を持つことが人としての至上であるのなら、どうして眠くなったら眠るように、腹が減ったら食事をするように、生きて行く過程で夢や目標を抱かないのだろうか。
夢や目標は、決して人に必要なものではないのだ。
目の前に置かれているテレビゲームが、心震わせ、魂が燃え上がらし、腹の底から気力を生み出してくれるのなら、すればいい。
カロリーとコレステロールの塊のような食べ物が心震わせ、魂が燃え上がらし、腹の底から気力を生み出してくれるのなら、食べればいい。
大切なことは、唯一忘れてはならないのは、君の心が震え、魂が燃え上がり、腹の底から気力が生み出されることだ。
手段や方法は、何でもいい。
人に迷惑を掛けたってかまわない。
夢や目標を美化し過ぎた商業に振り回されないでいたい。
夢も目標も要らない。
今日、今この瞬間に、自分が楽しくなることや気力が湧いてくることに、時間とお金を割くべきだ。
仕事が終わってモモンガと戯れる彼女様に聞いてみた。
僕「彼女様の将来の夢って何ですか」
彼女様「かわいい小型犬とかわいい中型犬とかわいい大型犬とかわいい綾野剛に囲まれて死ぬことです」
僕「頑張ってください」
下手な夢や目標は、どうだろう、まあ、何でもええわ。