大阪の森ノ宮というところにキューズモールというショッピングモールが出来たと聞いた。
このショッピングモールの売りは何と言っても屋上に設置されたエアトラックという人口芝のランニングコースである。
全長300メートルのこのランニングコースは、ショッピングモールというビジネスモデルに新たな一石を投じる一つの流暢の表れであるとかないとか、なんかそんな話しなんである。
時代の流暢の某かはとりあえずおいておく。
ここのところすっかりと引きこもりだった僕は野外の空気を吸う理由が欲しくて、無謀にも彼女様に声を掛けてこの森ノ宮キューズモールへと繰り出した。
森ノ宮キューズモールは規模こそそれほど大きなものではなかったが、各所に前進的な試みが取られている。
ドッグランを併設し、愛犬と歩き回れる施設。
お客が持ち寄った本を読みながらコーヒーが飲めたり、備え付けのMacでブラウジングができるカフェ。
表情豊かな輸入食品のお店、などである。
犬好きカフェ好き輸入食品好きの彼女様はそれはもう凄まじい勢いで食いついてきて、いかに犬とカフェと輸入雑貨が素晴らしいかを聞いてもいないのに延々と語っていた(「どうしてお前は車を持っていないのか」「どうして今までそのような施設の存在を教えなかったのか」「どうしてお前は綾野剛ではないのか」といった意見を含む)。
モールに到着すると、すぐに室内ロッククライミングの施設が目に入った。
ナウでヤングな呼び方があったような気がするが、まあいいじゃないか。
岩っぽい質感の壁がどどーーーんと3フロアくらいぶち抜きでおっ立っていて、そこに色々な色の手がかりがある。
おそらくコースによって難易度があって、初心者は白色のコース、上級者は紫色のコースといった具合にわかれているのだろう。
よく見てみると、やはり壁が突き出しているような部分は、手がかりの色も偏っているように見えた。
「ちょっとやってみたい」
そういって大きな壁を見上げる小さな女は、「今日は無理やけどな」と肩の出た服をさすってそういった(肩で人を攻撃した時に服が破れないようにするためだろう)。
「あそこ難しそうやなあ」と目を細める彼女様のご尊顔は見つめる先の、挑戦者を重力の底に叩き落とすべく突き出した険しい壁肌によく似ていた。
適当なカフェで食事を済ませ、「うちの料理の方がおいしい」という彼女様の洗脳を受けてから、店を一通り巡ってブックカフェに入った。
壁じゅうが本棚になっていて、コーヒーを楽しみながら本が読めるというコンセプトのカフェだ。
店の名前は忘れたが、絵本からビジネス書までたくさんの本が集まっていて、活字とカフェインに目がない僕にとっては、んもう卒倒しちゃいそうなくらいうれしい場所である。
席を陣取ってからホットドッグとコーヒーを2杯頼んで席に戻ると彼女様が般若のような顔をして(いつもの顔だ)、自分のコーヒーはいらなかったのだと主張した。
僕が頼んだコーヒーを横から略奪して、経費を浮かせる作戦であったらしい。
確かにお店からは1人1品頼んでおくんなしよ、といった要望がある訳ではない。
なるほど、実に理にかなった作戦である。
唯一問題があるとすれば、それが注文を取りに行く実働隊たる僕に伝わっていなかったことだ。
「え、コーヒーいらんし。」
という彼女様の声が聞こえた時、既に僕が注文した2杯のコーヒーと1匹・・・じゃない、1本のホットドッグは、トレイの向こうでステンバイされていたんである。
そこからはまるで飢えたトラと一緒にいるような気持ちだった。
彼女様は怒りがある一定の水準に達すると黙り込むという性質を持っている。
そうなったら何をしても無駄である。
隣の席で騒がしく子供をあやすばあさんに怒り、それを止めない店員に怒り、恐怖に震えながらも自分の時間を楽しむ僕に対して怒っている。
その怒りをじゅくじゅくと溜め込み、鬱屈したエネルギーに変えているのだ。
ちょうど地球に飲み込まれる大陸プレートに引っ張られた活断層がエネルギーを溜めているのに似ている。
解き放たれるそのエネルギーは破滅的な勢いをもって未曾有の大災害をもたらす。
自然災害と違うのは、その破壊のエネルギーがたったひとりの紳士に向けられるという点である。
特にこれといった打開策が見いだせないまま2時間ほどが経った。
うるさかったばあさんが店を出て、彼女様も少し落ち着いたようであった。
遠くの方で今度はじいさんが2人で何やら話しているが、男2人の騒がしさなど、ばあさんのやかましさに比べるとハトが鳴いているようなものだ。
多少落ち着いてきた彼女様ともう1周スーパーを回って、その日の夕食の食材を買って帰ることにした。
輸入雑貨の店で見立てた商品を、この日5%オフのセールをしていたスーパーで買う。
これを嬉々として行う彼女様の背中に、世の女性方のリアルを垣間見た気がした。
その日は事務所に帰ってから、やたらと美味いソーセージを2人で貪るように食べた。
モモンガのきゃす子さんにはブルーベリーが振舞われた(彼女様は僕以外の生き物には優しい)。
そのような穏やかな時間が、唐突に破られた。
「お前は人が怒っててもよく楽しそうに本が読めるな」
現場は緊張に包まれた。
主語がないが、返答を誤ると命に関わる。
「怒って」「楽しそう」「本」というキーワードから、今日のブックカフェでの出来事に関する話であると推測された。
僕は天に祈るような気持ちでこう答えた。
「へ・・・平気じゃないけどね、2人で不機嫌になったって、きっと楽しくないじゃん・・・ないじゃないですか。」
一般的な答えだ。
つまらないが、無難であり、ベストである。
敵の出方を慎重に伺う。
「まぁそうなんやけどな。実際ああなったら何されても噛みつくし。」
よかった。
引き出された答えは決して喜ばしいものではないが、とにかくこの場はうまく切り抜けられそうだ。
「でもやっぱりムカつく。」
そうだろう。
そこは読めていた。
ここで僕に必要なのは、歩み寄りの姿勢だ。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
懐に入れば、トラの爪も届くまい。
「じゃあ、ああいう時ってどうしてほしいの?」
チェックメイトだ。
後は彼女様の要望を聞き入れて、次回からの施作として展開するだけである。
勝利を確信した僕は、祝いのビールを片手に返答を待った。
「噛み付かれてでもいいから優しくするべきや」
爪を避けて懐に飛び込んだら牙があった。
優しい明日がほしい、それだけなのに、僕の視界にはいつだって鋭いものが写り込んでいて、この喉笛を狙っているのだ。
苦いビールを噛み締めていると、ブルーベリーを食べ終わったきゃす子さんが「もっと美味いものをよこせ」と暴れ始めた。
「きゃぁ〜す子ぉ〜」と猫なで声で人参を差し出した彼女様が、指を噛まれて「このやろう!」と怒り始めた。
割といい歳になる女とモモンガの喧嘩を見ながら僕は、平和とは犠牲の上に咲く花なんであると悟った。
この土壌には、まだまだ土が必要らしい。