声に生きる男の話し〜申し訳なさそうな声の出し方〜

よく「自分の声をレコーダーに録音して聞き直すと自分の声に聞こえず、気持ち悪い」という話しを聞く。
そういった話題が上がる度に「その意見さえも今まさに気持ちの悪い声で訴えているのだね」と相手の精神を谷底に突き落とすよう努力している。

録音した自分の声を「気持ち悪い」と感じる理由は2つある。

①本当に気持ち悪い
②普段自分の声を意識していない

である。
このうち、①はもう救いがない。
「気持ち悪い」の基準は個々別々のものであるから、斬新な感性を持った人(他の生物種、異星人も含める)との出会いに期待するしかない。

改善の余地があるのは、圧倒的に②である。
多くの場合、人は自分の発声に対して主に「身体的な感覚」を「声」であると錯覚している。
ちょうど、「努力しているのだから報われるべきだ」と考えている人が報われないのと似ている。

例えば、二次関数のテストで100点を取るために後鳥羽上皇の出生の秘密を研究するのは、明らかに努力の方向を間違っているだろう。
しかし当人は実に何回な課題に取り組み、大変な努力を捧げたのだから、自分は報われて然るべきである、と考える。
結果的にその人は二次関数のテストではロクな点がとれず、「努力は報われない」という法則への確信を深める。

「声」もそれと同じなのだ。
ふつう人は「発声」することで自分自身が感じる「感覚全体」を「声」として捉えているものだから、いざレコーダーに録音した「声”だけ”」を聞くと、ふだん自分が感じているものとあまりに違うから、違和感を感じるんである。

だから何度もレコーダーに録音した自分の声を聞き返していると、ふだんの自分の体感の中から純粋な「声」の部分がしっかりと浮き出て聞こえるようになってくる。
実際に僕は日常的に自分の声を録音して聞き直しているが、スピーカーやマイクといった外的要因を除けば、ほぼ自分の喋りながら歌いながら感じている自分の「声」と、同じ音に聞こえる。

どうして突然こんな話しをするのかというと、「声」というのは人が思っている以上に大きな力を持っているからだ。
人に謝罪する時、どれほど心が伴っていても「申し訳なさそうな声」でなければ、相手は納得しない。

特に男はふだんから無意識に不徳を積んでいるものだから、いざ女に叱られる場面になるとまず前提として許されないのだ。
そんな中でも極力早い段階で場をやり過ごすためには、「申し訳なさそうな声」が出せるかどうかが勝負なんである。

軽薄なる諸兄には、ぜひこの「申し訳なさそうな声」をマスターして頂きたい。
「申し訳なさそうな顔」や「申し訳なさそうな仕草」をマスターできるとなお良い。
僕のように生まれながらにそういった所作を身に付けている者はまだいいが、そうでない人はぜひレコーダーで自分の声を録音して、研究すべきである。

ところで、「申し訳なさそうな声」をマスターしても、男の苦労が終わる訳ではない。
「申し訳なさそうな声」は主に詰問などを受ける時に使うのだが、女は高い確率で「優しそうな声」をマスターしている。
ちょっと「優しそうな声」を出されたからといって「あ、許されるかも」と勘違いし、本来墓まで持っているべきである秘密事項を漏らしてしまうのだ。

常に女は男のひとつ上をゆくものだ。
「申し訳なさそうな声」をマスターし、「女には叶わない法則」を知るのだ。
そうすれば僕のように、顔を合わせる度になんらかの理由で叱られたり怒鳴られたり暴力を振るわれたりするだけで済むようになる(今の所命までは取られていない)。

今すぐ手元のスマホなどのレコーダー機能を立ち上げて一言「申し訳ございませんでした」と録音してみよう。
豆腐をしゃもじで叩くような声が聞こえるかもしれないが、安心していい。
生まれてこの方、その声で生きてきているのだ。
もうとっくに手遅れだから、開き直ってトレーニングに励もう。

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