子どもの頃はもりもりたくさん食べると褒められたものだ。それがいつの間にか「ゆっくり食べろ」とか「食べすぎだ」とか言われるようになった。教育の方針転換が180度すぎでムチウチになりそうである。
首は無事だったが腹は出た。一度15キロ近いダイエットに成功したけれど、一年ほど実家に引きこもったら見事に元の体型に戻った。それはそれはあざやかなリバウンドであった。
ところで本当に最近まで自覚していなかったのだけど、僕はずっとおなかがいっぱいで苦しかったのだ。ありがたいことにずっとおなかがいっぱいの人生だったから、ダイエット中でさえ野菜でいっぱいにしていたから、おなかが空いている状態を知らなかったのだった。
二週間ほど前、朝食の準備をしている時にふと思った。今日はいいや。と。
ふんふんと鼻歌歌いながらすごしていたら、お昼にもふとこう思った。水でいいや。と。
それから夕食時までの体の楽さといったらなかった。夕食は野菜をもりもり詰め込んだスープと、焼いた鶏胸肉だけ。それでも食べると疲れを感じた。食べることは疲れることなのだと気付いて、驚いた。
食べることが疲れることなのなら、僕は物心ついてから今日の今日まで疲れっぱなしだったということになる。あらゆる物事にバッドコンディションで臨んでいたことになる。こんな時人は、つい笑ってしまう。デュフフ…
そんなわけで少食ライフが続いている。朝は味噌汁やヨーグルト、気が向いたら納豆などを食べる。これでも疲れは感じるが、駅に向かう道中で消える。
昼はその日によって違うけれど、基本的には食べない。おやつは食べる。甘いのがほしい。にんげんだもの。
夜は妻の料理がある。米が多いと疲れるので、おかずとサラダで満足する。酒は飲まない。これは前から。酔うのってしんどいじゃん。
快適さの中でだけ生きるようにしたら、当たり前だけど快適である。当たり前に受け入れている不快を快適に差し替えるのは、ライフスタイルを変えることだ。正直難しい。でも楽しい。趣味と実益を兼ねた素晴らしいレジャーだと思う。
ところで、食べる量が今までの半分以下になって二週間ほど経つというのに体重が落ちない。未だに息子は僕の腹を足場にして飛び跳ねている。誰かそういう呪い、かけてない?
今日の朝ごはんはちょっと多め。
ぼちぼち秋のよそおい。