いい気分で一歩進む。気持ちの良いことは正しいこと。

実家に帰省してきた。
月に一度の楽しみで、週末土日に体が自由な時を狙って帰る。
今回は色々と報告事項もあり、お盆の行事もあり、締切間近の仕事もあったりしたのだけど、やはり毎回の帰省の目的は変わらなくて、それは「気持ちの良い場所に自分を置く」という、とてもシンプルなものだったりするんである。

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「気持ち良い」ということを、もっと大切にしたい。
僕はよく神社に行くのだけど、それもやっぱり「気持ちが良い」からだ。
逆にザワザワする場所や心が引きつりそうになる場所はどんどん避ける。

素敵なアイデアというのは、余裕のある心から出てくるでしょう。
優しい言葉というのは、穏やかな心から出てくるでしょう。

自分を気持ち良くさせる。
気持ち良くなった自分は、勝手に素敵なアイデアを吐き出すし、勝手に人に優しくなったりするのだ。
その「気持ち良い」という土壌に、技術やノウハウというものを立てていきたい。
気合いや熱意というものも、やはり「気持ち良い」という大地を踏みしめて解き放ちたい。

「気持ち良い」がないと、しんどい。
しんどいのは嫌である。

誰かの発言にカチンとくる時は
誰かの考えをバカにする時は
誰かの行動を非難する時は

僕らは結構な確立で、元々苛ついている。
「気持ち良い」と、「気分が良い」と、それが出来ない。
ええわいええわい、そーゆー考えのヤツもおってええわいと、余裕満面許しちゃったりする訳なんである。

もちろん人間だから、どんなに気分が良くても許せないこともある。
だけど、気分が良いとだいたいのことが許せる。
それだけで、「許せない」という状態を脱せるだけで、どれだけ楽か。

許せないとしんどい。
しんどいのは、嫌なんである。

という訳で今回も実に気分良く大阪の事務所に帰ってきた。
帰りの電車の中で気分良く本を読んでいたら、次の自分の人生のステージがなんとなく見えた。

やっぱり僕は、人に何かを教えるということをやりたいのだ。
長年教師をしている父を尊敬しているからか、袈裟を着て説法をしていた母方の祖父を見ていたからか、僕の周りに愛のあるお師匠が沢山いたからか、いいえ、たぶん、全部が理由で。

では、何を教えるのか。
それはやっぱり、「気持ち良い」ことなんだと思う。
今ポケットの中には、この「気持ち良い」という言葉ひとつしか入っていないのだもの。

そうと決まったら、次は何をするか、考える。
断じて気分良く。