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グラウンドと裏庭
広川幼稚園には巨大なロケットのジャングルジムのあるグラウンドのほかに、少し大きな砂場のある中庭、というか、裏庭のような場所があった。裏庭は常に園舎の影の中にあって、また砂場の上には天井のように設えられた藤棚があったから、グラウンドと比べるとかなり薄暗い場所だったように記憶している。それでも不思議と、居心地は良かったのだけど。
そんなことは意識してしなかったのだけど、今振り返ってみると、幼稚園にはいた子どもたちには「グラウンドにいる子」と「裏庭にいる子」の2種類がいたように思う。
グラウンドにしかいないヤツは、身体を動かして走ったり登ったりするようなことが好きなヤツだ。だいたい明るくて、社交的で、どこにいてもよく目立つ。一方、裏庭にしかいないヤツは、砂場遊びやママゴトのように、小さな世界を創り上げてその中で遊んでいることが多かった。
僕はほとんどグラウンドにいたのだけど、たまに裏庭に出て砂を掻いたりすることも好きだった。そんな時は、グラウンド側の連中が鬼ごっこなどで裏庭に来ると、いやに目障りに感じたものだ。
キャラクターとプレイヤー
「グラウンドにいる子」も「裏庭にいる子」も、やっていることは同じである。自分の空想の世界を広げて、遊んでいるのだ。違うのはその遊び方で、「グラウンドにいる子」は空想の世界のキャラクターとなり、その世界のキャラクターとして遊ぶ。「裏庭にいる子」は、空想の世界を俯瞰して、その世界のプレイヤーとして遊ぶ。そんな感じだったと思う。
プレイヤーとして遊ぶことが好きな子は、キャラクターになることが苦手だったりする。キャラクターになることが好きな子は、プレイヤー的遊び方を退屈だと感じることがある。僕はキャラクタータイプなので、昔も今も、体感を通じて空想世界にコミットするような遊び方が好きだ。SIM CITYとか、牧場物語とか、その手のゲームの面白さはぜんぜん分からない。
大人になって、プレイヤー的な仕事もするようになっていよいよ思うのだけど、キャラクタータイプとプレイヤータイプの人の脳内は、もう別の生き物かと思うほど違う。努力はしているけど、モノゴトを俯瞰して、段取りを付けて、、、という、世間一般で言う「デキる大人」的なことが、僕は徹底的に苦手である。僕がそういうことに時間と労力を割くのは、社会の損失であるとさえ思う。けれど、そういうことを息をするように、当たり前のように、何の無理もなくやってしまえる連中もいる。ヤツらはきっとあの裏庭で、活躍の時を虎視眈々と待っていたに違いない。
RPGとか大好き。キャラクターの人生を生きられるもんね。
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