わが愛しのAm P.44:思い出ダイジェスト⑥(2018/09/11)

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恐怖のいじめる宣言

小学校の時、3つ年上には派手ないじめっ子がいたのだけど、2つ年上には陰湿ないじめっ子がいた。派手ないじめっ子は小学校を卒業してしまえば、もう少なくとも学校で会う、ということはなくなる。問題は、陰湿な方のいじめっ子だった。いじられっ子体質だった僕は、きちんと陰湿ないじめっ子の方にも目を付けられていて、日々ビクビクと過ごしていた。

2つ上の6年生の卒業式が近付いたある日、グラウンドでみんなでいる時に、その陰湿ないじめっ子が「俺ゆうさくが中学校に上がってきたらいじめるから」と宣言をした。ただでさえ度々ちょっかいを出されていてビビり倒していたのに、そんなことを言われて僕はすっかり縮みあがってしまった。中学校なんか行きたくないとどこかで思いながら、残りの2年間の小学校生活を送るのだった。

みかちゃんのごはん

クラスメイトのみかちゃんは、小柄でおとなしい女の子だった。9年間同じ教室にいたけれど、一対一で話しをした回数は両手で足りると思う。食が細くて、いつも給食のごはんを半分残していた。

5年生に入ったくらいから、どうせみかちゃんはごはんを半分残すのだから、もらっていい?と、腹ぺこな男子たちが騒ぎ始めた。僕もその中のひとりだ。給食を配り終わると、みかちゃんの机に男子が集まってごはんを分けてもらうという文化が定着したのだ。僕はごはんがいっぱい食べられて嬉しかったけれど、あれ、みかちゃんはどんな気分だったんだろうなあ。

爆発のとっちゃん

僕らの世代の代名詞は「キレる子ども」が割とキーワードだった気がする。テレビのニュースではそんなことを取り上げている番組が結構あって。で、クラスメイトのとっちゃんは、つまりその「キレる子ども」だった。普段はおとなしいヤツなんだけど、何かの拍子にキレるとどこまでも追いかけてきて、叩いたり蹴られたりしたものだった。

とはいえ基本はいいヤツなので、僕はとっちゃんと幼稚園~高校卒業までずっと一緒にいたけれど、ずっと彼のことを良い友だちだと思っていた。卒業してからはほとんど会えていないけれど、元気にしてるだろうかなあ。

性、目覚めました

小学5年生の頃だったか、6年生の頃だったか。小学校に登校する途中、川原というか、川原ちょっと手前の変電所の辺りに雨に濡れたエロ本が落ちているのを見つけて、もうこれは帰りに絶対拾って帰るしかないと思い、草むらに隠して下校タイミングを待った。ソワソワしながら下校時、草むらの中からエロ本を回収して家に持ち帰ってこっそり開くと、それはもうめくるめくセクシャルな世界が広がっているではないか。僕は大きな衝撃を受け、エロの虜となった。

あるページに、男の人がひとりで自分のナニを握りしめて何かしている描写があった。よく分からないまま真似をしてみたら大変なことが起こって、僕はすっかり夢中になった。所構わずやっちゃうもんで、死んだばーちゃんに怒られたりしたっけ。そのうち隠れてすることを覚えてからは、高校生になるまでオナニーしない日はなかったと思う。スケベ皆勤賞。
 
 
川原に落ちているエロ本の画像


 
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