わが愛しのAm P.100:自分とイチャイチャしながら生きる(2018/12/12)

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前回のあらすじ

自分にマッチした時間管理術を手に入れたのだ。

何者でもない

僕は時間管理の達人でもなければ、アレクサンダーテクニークの講師でもない。マーケティングのプロフェッショナルだなんてとても言えないし、音楽家としては三流もいいところだ。今取り組んでいるNVCやカードワークを通したメンタルケアについても、いつどこで見切りを付けるか分かったものではない。一芸に秀でた人をありがたがる文化の中においては、僕は何者にもなれない半端者のひとりだ。実際自分でも、自分のことをそう思って生きてきた。

しかし、5ヶ月間に渡って自分の半生を振り返ってきた結果、そもそも僕はそのように生まれた生き物だということが深く理解できたし、納得できた。

小さい頃から集中力がないだの、じっとしていられないだの、散々叱られてきたけれど、仕方ないじゃない。飽きちゃうんだもん。つまんねーんだもん。

でも飽き性だからこそ、常に新しいものに関心が移り続けるからこそ、この世はいつまでも楽しい遊び場だし、生きていることそのものが楽しいと感じられる。そして、もう自分でも言っちゃうけど、これだけ色んな視点から体や心に向き合って、それを語れる人、そうそう居ないんじゃないかな(笑)

いとしの僕ちゃん

はてさて、2018年の7月から100記事を割いて、ゆるゆると半生を振り返ってきたけれど、5ヶ月前と比べると明らかに自分に対する理解が深まっているのを感じている。何が好きで、何が嫌いなのか。何がハッピーで、何がハッピーじゃないのか。今の僕がどういう出来事と解釈で出来ているのか・・・

全てを理解したとは到底言えない。しかし、親よりも妻よりも、これから産まれてくる我が子よりも長く濃密な時間を共に過ごす自分というパートナーを知り、イチャイチャして、より好きになれたことは、今僕が持っているどの資産よりも価値があることだ。

そう、「自分とイチャイチャする」。これが僕の座右の銘である。もともとは大好きな書道家の武田双雲さんが何かの対談動画でポロっと言っていた言葉だ。焦燥で不安から逃げるのではなく、好奇心で軽やかに活動し続ける心地の良さを見事に表現してくれている。あと、ちょっと変態ちっくでふひひっと笑っちゃう。

自分とイチャイチャする方法

何をするにも、まず元気が要る。冗談じゃなくて、元気があれば何でもできる。僕は常に大小3〜4つくらいのプロジェクトに関わっているけれど、それらを破綻させないように維持する最大の秘訣は、自分の元気を一定値以上に保つことだと断言できる。

元気があれば、心と体は動き続けることができる。一日5分でも自分の人生に意義があると感じる何かに取り組むだけで、日常は色彩豊かな楽園に変わる。レジャー施設と言ってもよろしい。さしものディズニーランドも、こちらがインフルエンザで瀕死になっていたら、楽しめまいて。

自分とイチャイチャするから、元気がうまれる。元気がうまれると、楽しいことに取り組めるから自分とイチャイチャできる。するとまた元気がうまれる。死ぬまでそのサイクルを回し続けるのだ。

これからは、どうすればイチャイチャ→元気のサイクルが回せるのか。そんな話題を通して、このブログが一人でも多くの方の幸せな人生の肥やしになれば、幸いである。

カービィカフェで僕がお鍋に入って煮込まれている画像

思いついたことをトニカクやってみるとか、それだけのことでも自分のイチャイチャしたことになるんさ。ふふふ。


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