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「できない」「楽しくない」「評価されない」
音楽の専門学校に入学した僕は、自分はちょっとギターが弾けて調子にのっているだけのやつだと思っていたから、とにかく色んなことが学びたかった。だから通常の作曲やライブパフォーマンスのチェックをしてもらう授業だけでなく、DTMやバンドセッションなど、とにかく思い付く限りの講義を聴講した。僕の授業の予定表は、日曜日以外真っ黒だった。
気が付くと、疲れ果てていた。歌は一向に上手くならないし、DTMも思っていたより楽しくない。他の人が当たり前のようにできる「ハモり」だって全くできない。何より、今までは何となく「力いっぱいやる」をしていれば、周りの人は評価してくれていたのに、それがない。「できない」「楽しくない」「評価されない」の三拍子の中で、僕は次の一手を見つけられずに途方に暮れた。
次の一手が見つからなくても日々は流れる。最初の夏が終わる頃には、きっとこのままでは僕はデビューなどとてもできないという考えが脳の奥かわ湧いて止まらなくなった。そうすると、できることはひとつしかない。「もっと力いっぱいやる」のである。
体に変化
「もっと力いっぱいやる」のアプローチは、大きく2つある。ひとつは、「自分にさらに大きな負荷をかけること」。そしてもうひとつは「さらに体に力を入れておくこと」である。2つ目の「力を入れる」というのは比喩ではなく、本当に力を入れておくのだ。その力んでいる感じ、体から伝わる疲労感が、当時の僕が唯一定めることのできた指標であった。
ある日、目覚ましのケータイアラームの音で夢うつつの中ブレストレーニングをしていることに気付いた。起き上がると首が異常に痛む。右も左も向けなくなって、だけど、だからといって他のやり方を知らなくて、僕はさらに体に力を込めた。何なら、無意識にブレストレーニングをするほど自分を追い詰めているのだから、首が傷むくらい頑張ったのだから、僕はいよいよ評価されてもいいのではないかと、相変わらず的外れな期待さえ抱いたのだった。当然、音楽的技術の向上は、ほぼ見られなかった。
前後真っ暗で超ヤバい
周りの人々は魅力に溢れているように見えた。歌が上手いやつ。ギターが上手いやつ。何をしていても楽しそうなやつ。音楽そっちのけで恋に生きてるやつ。とにかく人柄がよくて常に周りに友だちがいるやつ。それに対して、こんなに辛い思いをして努力している僕は、音楽なんてソフトなもので体を傷めるほどに頑張っている僕は、もう魅力の欠片もない小汚い田舎者ではないか。才能もないなら、いっそやめてしまおうか。でも、明日はもっと頑張ることができるかもしれない。まだやりきったとは、とても言えない。そんなことを毎日考えていた。
歌モノの音楽には様々な要素がある。いい声、いいピッチ、いいリズム、いい演奏、いい歌詞、いい表情、いいパフォーマンス。自分には、それらの要素が何一つないと信じるようになった。とはいえ、両親に「音楽で食っていきたい」と大見得を切って来させてもらった学校である。引くに引けない。進んでも戻っても、僕には、未来には、絶望しか見えなかった。
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